IKUOのひとりごと 〜フランス便り〜


<2015.3.26 File No.36>


出稼ぎ労働者


その昔、日本も未だ貧しい国で、海外に新しい可能性、より良い生活を求めて
大勢の人が移民して行った時代が有った。

ブラジル、アルゼンチン等の南米、ハワイ、アメリカ、カナダ等、日本では
手に入らない広大な土地を求めてアメリカ大陸が中心だったが、ヨーロッパには
日本からの移民はない。

今は成功した2世、3世達と旅行中に知り合う機会が時々ある。
すっかり自分の国に根を張って、先祖の国である日本の言葉を出来る人の方が、
今では少なくなっている様だ。



チャン島の道路側、ホテルの近くに店が建ち並び商店街と変化した年、
東京から友人夫妻が初めて島に来た。

一緒に日本語で話しながら歩いていたら、急に日本語で話しかけられてビックリして立ち止まった。
洋服店をオープンした、オイさんという奇麗な魅力的なタイ女性だ。



夕方、道路の反対側を歩いていたら、大声で"社長さーん"と言う声に再び驚いて
立ち止まったら、向いの店からオイさんが声かけて手を振っていた。
あの人、日本で何していたんだろう?と苦笑いしながら会釈して通り過ぎた。



オイさんは日本に出稼ぎに行って、日本人と書類上の結婚をして永住権を習得したそうだ。
相手は年配の九州に住む人らしいが、彼のお陰と感謝していた。

タイで住んでいた息子、娘も成人したので日本に呼んで、3人一緒に大阪で暮らし、
スーパー用の食品を袋に詰める作業する同じ会社で3人共、日中、夜勤、と時間をずらせて
働いているそうだ。

家族全員、仕事仲間、会社から信用され受け入れられている様子が感じられる。



妹夫婦が島で店をオープンするにあたり、資金面の援助も含めて助けに帰国中、とのこと。

タイ人の家族に対する絆は、特に貧しい家庭では援助するのは当たり前、と今でも強い。
妹の旦那さんは、ラオスからタイに帰化したそうだ。



オイさんは見るからにエネルギッシュな働き者で、アイデアも豊富で何より即、
実行する行動力も兼ね備えていて、見ていて逞しい。

CD流して、店の前でリズムとって踊ったり、フラフープしたり、と前を通るお客さんが ニコッと
笑って通るか、話しかけるか、嫌がるか、何かの意思表示はしても全くの素通りでは済ませられ
ない一つのコンタクト法だ。



翌年、大阪でのイベント時、住まいに近いからとオイさんが逢いに来てくれた。

島で逢うのと違って、肌は真っ白、その上元々の美人だし、お洒落して見違える程奇麗で
まるで別人に会っている感じだ。
大阪弁で"今は子供達の方が日本語がようでけるねん"、と話していた。



妹夫婦がその後もずっと店を守っている。

妹の旦那さんのタイさんも、名古屋で建築工事の溶接工として6ヶ月間、
日本に出稼ぎに行った事が有り、多少日本語も話せる。

夫婦二人で店をするには不十分で、この3年位、タイさんは他で仕事を見つけて
店には出て来なくなった。



商店街を歩くと、同じような店が同じような商品を売っていて、初めての観光客は
それなりに買い物したりするが、毎回見ていると正直言って欲しいと思う物は何もない。

店、商品同様、商売人迄似た人が多いので、今逢った人が此処にも居る、と
当初驚いたが、兄弟姉妹、果ては従兄、と同家族で商売している人が多い。



大半はラオス、カンボジア、ミャンマーから帰化した人達で、タイでは矢張りマイナーで
差別されている様だ。

タイで成功して富豪となっているのは、中国人とインド人らしい。
金の力で彼らは一目置かれている様だ。



バンコックに来始めた頃から街中の工事が活気良く何処でもあったが、工事現場で働く女性の
多いのに何時も驚いていた。

タイは未だ貧しいので、女性でもこんなきつい仕事して頑張っているんだ、と思っていたが、
どうやら働いていた女性達はタイでなくミャンマーの女性達だった様だ。

バンコックではタイ人のしたくない仕事は、殆ど全てラオス、ミャンマーの人達がやっているそうだ。



チャン島でも工事現場で働く女性は多い。
男女共に国境から近いカンボジアの人達だ。

タイ人の望まない仕事なら、という条件でカンボジア、ラオス、ミャンマー人には
割と簡単にワーキング・ヴィザが下りるそうだ。

勿論支払われる給金は、タイ人より悪い低賃金で働いている。
労働基準法なんて彼らには通用しなく、嫌なら他でどうぞ!という感じだ。



滞在先のホテルのマネージャーに一度、ミャンマー出身の人が珍しくなっていた。

大きな世界航路を旅するクルージング船で働いた経験を重宝がられたのか、
英語が出来るのと他に適任者が居なかったのか、何れにしろ珍しいケースだ。

アメリカに移民するのが夢だった様で、ジェームスさんはインターネットで
グリーンカード要請していたら、幸運にも僅かな好運者の一人として当選。

その後、テキサスのホテルで仕事を見つけて、息子と奥さん三人で今は念願だった
アメリカで暮らしている。
島で暮らしていた時よりは幸せな生活を送っていると願いたい。



暫く前から、タイ人が日本に行くのに15日間なら無ヴィザ行ける様になった。

日本に行くのが夢、一度は行ってみたいと言う人気の国らしく、短期間で安い
ツアーが目白押しに出来て、旅行者が後を絶たないと聞く。

反面、旅行者の振りをして日本に簡単に入国し、実際は働きに行くというケースも多く、
日本への入国時、入国拒否された人が国別ではタイが圧倒的に多いそうだ。

又、日本国内で滞在期間が過ぎた違法滞在で労働しているのが見つかり、
強制送還されるケースも増えている。

タイよりさらに豊かな日本が、彼らに取っては夢の国だ。



チャン島はカンボジア国境から近い地理的条件から、タイよりずっと貧しいカンボジア人に取っては、
タイ、チャン島は矢張り彼らの夢の国だ。

ホテルで現在86人の従業員が居ると聞くが、タイ人は数える程で、残り全てカンボジア人だ。
タイに居ながらタイ人に逢う機会が少ない!



タイ語の出来ないホテル・スタッフも沢山居るだろうが我々にはそこ迄分からない。

ミャンマー、カンボジアは言語の違いで、タイ語を覚えねばならないが、
ラオスは言語に関してはタイと同じで、方言がある程度で、問題ない様だ。



カンボジアから出稼ぎに来るのは、勿論自分の国より仕事が有るのと、
タイ人より安いサラリーでも未だ自国よりは良いサラリーになるから。

自分の生活は勿論だが、少ないサラリーを少しでも貯金して、
国の家族の援助に送っているケースが殆どの様だ。

自分自身の家族だけでなく、親も援助する必要が有る。



サラリーから色んな名目で差し引かれれば残るのが自分の生活するのにも
足りるのか?と思う程しかないのに、送金迄するとは感心するばかりだ。

大した金の送金は出来ぬとも、微々たる金額でも家族の為になる。
銀行からの手数料等まで払っていられない上、殆ど家族の住んでいる村には
一軒の銀行もないだろうし、万一、在っても口座を持っている人も居ないだろう。

誰か知り合いが帰国する度に皆頼んで運んでもらうそうだ。
お互い、そのようにやり合うので、悪いことするケースはなく円滑に運んでいると聞いている。



旅行者がホテルで毎日顔を合わせるスタッフとなると、部屋掃除係、朝食や
レストランのサービス係、庭の手入れやプールの手入れ、海岸に行く為の
タオル貸し出し係、各々責任者はタイ人だが現場で働くのは全て カンボジア人だ。

英語は数人を除いて全くに近い程、出来ない。
タイ語はどの程度まで出来るのか自分には見当付かないが。



最近はホテルでもカウンターのレセプションで働く人の中にもカンボジア人が少し居る様に
なってきた。

能力有れば彼らにも、タイ人も働きたがる部署でも働く事が出来る様になったのは
多少でも将来に希望持てる状況になって来たのだろうか?

それともタイ人の仕事の出来る人は島の条件悪い所より、もっと好条件を求めて他所に行くので
就職希望者が少なくなり、英語さえ出来れば安く雇える彼らを雇用するのか、どちらが正解か
分からない。



英語でも出来る様になれば、今より良い条件の仕事にも付けるだろう、と自覚している人を対象に、
レストラン給仕係の英語の出来るスタッフが、英語学校を始めようとホテルで働くスタッフから
有志を募れば7〜8人集まって、英語塾を始めた。

少ないサラリーから授業料を多少とはいえ、彼らに取っては大金を払って、
部署によっては夜10時迄仕事だが、疲れた身で毎日10時から1時間の勉強だ。



確かに去年は何も分からなかったのに、今年になって多少でも英語がわかる子達が
何人か目についた。

彼らなりに惜しまぬ努力をしているのを聞き知っただけに、余計エールを送りたい。
塾で習った事を、即、実技で活用出来るよう、話しかけたりしたくもなる。



スタッフの大半は、未だど田舎の電気も来ていない未開発の何もない貧しい
カンボジアの村から家族を置いて働きに来ている。

情報通の話だと、島での彼らの住まいは雨が降れば雨漏りし、まともなドアーもなく
プライバシーもない掘建て小屋の安い所しか借り得ないが、そう言う部屋を何人かでシェアーして
住んでいる人が大勢居るらしい。

自分の故郷も多分大差なく、さほど不便と思ってないのかも知れないが、
我々ツーリストの暮らしを、違う世界の人間達、と果たして無関心でいれるのか、
本心は反発心を燃やしているのか、人によっても反応は色々だろう。



早朝、釣りに下りて行く事が多く、朝6時からプールや海岸の掃除をしている彼らと良く
顔を合わせて 、釣りを覗きに来たり、釣った魚を釣り針から外すのを手伝ってくれたり、
釣れた魚を夕食用にプレゼントしたりするので、素朴な彼らが大好きで彼らと仲良しになった。

共通語がなく、言葉が通じなくともこちらから好意的に見ている事が通じる様で、
暗黙のうちにある種の繋がりを感じる。



長い滞在中、極々まれに、何がどうのと言うではないけど、エッと、シタタカさを感じるスタッフも
居たが、そんな人達は翌年には居なくなっていた。

タイ人より厳しい条件であっても、恐らく何処でも同様だろうし、と大半は我慢しているのだと思うが、
頻繁に勤め先を変わるのは矢張り信用出来ない。

信頼している彼らと毎年島に着いて再会すると、心底ホッとする。



又次回も、みんなと再会出来る様に健康でチャン島に行けるよう楽しみにしている。









A Chiang Mai le 20 Mars 2015
 

一森 育郎







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