IKUOのひとりごと 〜フランス便り〜

<2009.2.11 File No.13>

チャン島四方山話

フランス人では誰も知らないメイエ村と、タイでも余り知られていないチャン島は、
誰にでも話まくっているので、私の友人間では知らぬ人のない程有名だ。

タイに来るようになった初め5〜6年間は、北から南まで、随分タイ国内旅行をした。
北はチェンマイ、チェンライのラオス国境の少数民族の住んでいる小さな村から、
南はマレーシアに近い島まで、観光地として有名なプーケット、サムイ島、パタヤ、
ジェームス・ボンド・アイランド、その他の島々交えて、あっちこっち歩き回った。
自分のパラダイスを求めて!

3回目に訪れた南の町、クラビの近くのアオ・ナン海岸で、
日本語の出来る旅行エージェント兼、薬局を経営している顔なじみの女性から、
「コ・チャンに行ったら!」と初めて名前を教わった。

コ・チャン(Koh Chang)というKohは島を意味し、
チャン(Chang)と言うのは象という意味だそうで、象の島、何となく縁起が良さそうだ。
象はタイでは縁起の良い動物で、大事にされているから。

バンコックから東に300キロ、カンボジア国境に近いTratと言う町から
船に乗ってチャン島に。
今から13年ぐらい前の話で、小さい漁船を改造した船しかなかった。約1時間。
島に上陸した我々10人余りの乗客は、さてどうしよう、とオロオロ。
誰も通らない。勿論車も。
やっと1台乗り合いタクシーが通ったので、一斉に歓声上げたが、
「海岸には行かない、すぐ別のタクシーに連絡するから」と、待つこと更に20分。
トラックを改造した乗り合いタクシーで、まだ部分的にしか舗装されていない急な山道を、
屋根の上に荷物を積んで、座る所のない私は後ろに立ったままで、
身体が半分車からはみ出して、下を見れば通過していく凸凹道が眼下に、
怖いことこの上ない。早く着くのを願うばかり。

夕日が沈んで薄暗くなる頃、何とかその日の宿泊バンガローを確保。
バンガローは、狭くて、高くて、翌日には移動。
次の日から新しい所で2泊したけど、カラオケの調子はずれの声に悩まされて又移動。

3キロに及ぶ長い海岸の、始まりというか、終わりというか、に位置するリゾートが
他より敷地も広く、樹の多い庭もあって、バンガローも新しく、シャワーも付いている。
シャワーは水だが、トイレも付いているので便利だ。
扇風機や電気は夕方6時から夜10時まで使えるのがまだ珍しい頃で、有難い。
バンガローによっては、トイレット・ペーパー、ロウソク、鏡、タオル持参で行かないと
不便する時代だったので、文明世界に戻ったような快適さだ。三度目の正直、即決。
ヘルペスで片耳が聞こえなくなった直後、自分の声も含めて全ての音が、頭の中で
反響するのに未だ慣れていなかったのが辛く、波の音しか聞こえないのも気に入った。
海岸の端に位置するので、バンガローの前を通る人も少ない。
従業員は島の青年たちのようで、言葉は通じないが、ローカル色あって微笑ましい。


山で囲まれた島
山で囲まれた島、ここから3kmに及ぶホワイト・サンド・ビーチが始まる


最初にリゾートに着いた時、既にレセプションで働いていたオイさんが、
今でも私の最も古い、島での知りあいだ。
当時の労働条件は厳しく、1週間休みなく、朝7時から夜10時まで、毎日働いていた。
午後2時ごろから2〜3時間、休憩時間は有ったようだが・・・
旦那と一緒にバンコック郊外から、島に来た、と分かった。
亭主はちゃんと英語を話すが、リゾートで働いているようには見えない。
X’masパーティーなど、催し物がある時は、司会役を務めたりしていたから
何らかの形で、リゾートと関わりがあったのだろう。

オイさんの英語力は何年たっても上達しない。
何を頼んだか忘れたが、あるとき何かを頼んだら、「やっと分かった!」と、
まるで関係のないトイレット・ペーパーを差し出したのには、大笑いした。
オイさんに限らず、島の人は皆、若い観光客でない限り、パパ、ママと我々のことを呼ぶ。
海岸を歩けば、「パパ、マッサージ」と何処からともなく声が掛かる。
オイさんも「パパ、何でも必要なことは頼んで!」と言ってくれる。
パパと呼ばれるのに抵抗感じて、何度もIKUOと教えたが、未だにパパだ。

10年余り滞在したリゾートも、良くしてくれたオーナーの交通事故で経営が変わり、
新しく出来たホテル形式のリゾートに移動して、今回3シーズン目になるが
オイさんも、今は私の滞在ホテルのすぐ横で、インターネット兼旅行エージェントを
友人と共同経営するオーナーとなったので、しょっちゅう顔を合わせる。

オイさんは40歳代の地味な女性で、よく働くのは何時も見ていたが、
いろんな種類の旅行者が来るリゾートで働く、若い人達は彼らのことを(我々のことを)
一体どんな目で見ているのか、と疑問に思うことが良くある。
1週間休みなく働いて、大した給料を貰える訳ではないが、若い同世代の女の子が、
腹の突き出た年配の西洋人のエスコートで、派手な客としてやってくる場合も多いので。

何もしてないように見えていたオイさんの亭主が、5〜6年前に山側で小さいリゾートを
6件のバンガローを建設して、オープンした。
当時まだ、私の宿泊していたリゾートで働いていたオイさんは、休憩時間になると、
旦那の経営するリゾートに走って行き、バンガローの掃除をするので、
休む時間がなくなって、疲れて仕方ない、と話していた。
旦那は会うと必ず、「何時でも迎えに行くから、一度見に来て!」と言ってくれるが
まだ行ったことがない。今はバンガローも増えたそうだ。

去年、島に着いて久しぶりに会ったオイさんが、すっかり変身、明るい感じに輝いていた。
「パパ、元気?パパ、全然変わらないね」
「オイさんも幸せそうだね」
「スウェーデン人のボーイ・フレンドが出来た!来週ここに着くの」
島も変わったが、彼女も別人のごとく変わった。
幸せとは関係ないような容貌だったのが、本当に幸せを絵で描いたようになって良かった。
「離婚したい」とも話していた。

今年、島に着いたら、ボーイ・フレンドがマイ・ハズバンドに変わっていた。
「結婚したんだ。おめでとう。」と言ったら、「まだしてない」と照れくさそうに笑った。
旦那は旦那で、会えば相変わらず、「何時でも、妻に言ってくれたら迎えに行くから」と。
ウー、もうついて行けない。何れにしても幸せそうなオイさんの様子を見るだけで十分、
その他の詳しい事情は私には関係のないこと。

分からない事と言えばもう一つ、前のリゾートの気心知れたオーナーの交通事故の後、
2年前に経営が変わって、沢山のテナントを道路沿いに建てたが、当時のマネージャーが
工事費を上乗せして請求書を書かせ、相当の金を経営者からチョロマカシタそうだ。
長年島に来るので、顔なじみの商売人が色々と教えてくれる。
人の話すことだから、何処まで本当の金額かは知らないが、はした金ではなさそうだ。
有名な話なのに、何と、張本人の元マネージャーが、4軒先のリゾートで働いているのだ!
島から出るとか、離れた別の海岸で働くなら、まだ分かるけど、目と鼻の先で。

現在滞在している新しいホテルで、去年働いていた若い女性がいる。元英語の先生。
1日、船で近辺の島巡りする時には、エスコート役としてツーリストの面倒を見ていた。
今年は見かけなくなったが、私の歩く姿を見かけたから、と、先日会いに来てくれた。
3ヶ月前から、島に建てられた別荘を販売する会社の仕事に変わった、と言う。
働き始めてから既に15軒、売ったそうだ。
「給料がホテルでの3倍、今は24.000バーツ貰っている。」と得意げだ。(1バーツ=約3円)


滞在ホテル
建物、庭、センス良いリゾートで一目惚れした現在の滞在ホテル


大勢働いているこのリゾート、1日9時間労働で、週休1日、年間5日の有給休暇。
以前より労働条件は良くなったものの、サラリーは6.000〜16.000バーツ、とまだ安い。
タイは未だ、貧富の差が極端に激しいと、西欧生活の経験あるスタッフが嘆いていた。

今から7〜8年前になるだろうか、まだタクシン首相が勢力を振るっていた時、
チャン島開発に政府が協力、との記事をバンコック・ポスト紙で見た。
その頃から、大手のホテル・チェーンが進出始めて、島が急に騒々しくなってきた。
工事が一斉に始まり、2箇所からのフェリーが30分ごとに、旅行者のみならず、
建築機材を積み込んだダンプカーを、25分で本土からチャン島に運びこむ様になった。
車の量が増えて、道も主要部分は綺麗に舗装されたが、
象の島から、象は道路を通ることを禁止されてしまった。
山側のジャングルで、旅行者相手のエレファント・トレッキングでのみ、象を目に出来る。


舗装された道路
道巾も広く舗装された道路は、軒並みにショップが・・・


バンコックからTratまで、飛行機が1日2便飛び始めた。(今は3便ある)
チャン島は山に覆われた島で、島全体が国立公園になっているから
山を削って飛行場を造る訳にはいかないので、最寄りの本土、Tratに空港を造った。
何れにしても一旦フェリーに乗換えが必要なので、時間がかかる。
空港が島にない限り、プーケット島の様には成らないだろうと、我々は安堵してはいるが。

幸いなことに津波の影響が全くなかったチャン島は、津波のお陰で一躍脚光を浴びた。
北欧からの旅行者の多いカオルンやプーケットに行けなくなった客がなだれ込んできた。
プラチナ・ブロンドの髪の子供達を海岸で見るようになったのは、津波以降のことだ。
一番開発の進んでいる私の滞在先のホワイト・サンド・ビーチのみならず、
他の海岸も同様に、そして今では何もない山側まで観光事業開発がなされて、
何時果てるともなく工事現場がやたら目に付く。

島に来始めた頃知り合った、私と同年輩、又はもう少し若い世代の人たちは、
既にチャン島に見切りをつけて、もう戻って来なくなった。
ここ数年、長期滞在で知り合う人たちは、殆ど70歳代のヨーロッパからの退職者だ。
スカンディナヴィアから小さい子供をつれてくる家族も多い。
レストランで言えば、ファミリー・レストラン的な島になってしまったが、
プーケットやパタヤの如く、海岸にビーチ・パラソルがひしめく訳でなく、
水上スクーターや水上スキー、パラシュートが海岸を駆け巡ることもないのがまだ幸いだ。
建物も規制が有るのか、今の所は地上3階建てしか造られていないのも我々には有難い。

 

冒険を求めて、ロビンソン・クルーソーの生活に憧れて人が集まった島が、
一般客が来るようになって、観光客のマナーもここ数年悪くなったと商店の人が嘆く。
特に最近ロシアからの観光客が増えて、彼らの評判が悪い。
成金さんは何時の時代も、何処でも評判が悪いのは、経済力が有れば何でも許される、と
誤った解釈をしている人が多いからだろう。
時間をかまわずバタン・バタンと勢いよくドアーを開け閉めしたり、
ホールや廊下で大声で話したり、はた迷惑を考えない行動で、
フロントにマナーの悪さの苦情が耐えないそうだ。

ここ近年、週末になるとバンコック辺りからタイ人の旅行者も来るようになった。
海岸やレストランで西洋人しかいなかったのが、タイ人の客も見かけるようになった。
タイだから当たり前のことだが、それだけ彼らの生活向上してきた、と言うことだろう。
会社からの慰安旅行風な若いグループも週末には良く見かける。
必ずカラオケ大会が催されてのどを競うが、近辺に滞在する人には矢張りうるさく迷惑だ。
でも、夜10時までに終了する分には、彼らも大いに楽しむべき、と、私は考えている。

なんと言っても、ここはタイ。
彼らが真っ先に、この素晴らしい地を謳歌する権利があるのだから・・・
少なくとも公共マナーを守っている限り、何も外国人に遠慮することはない!
我々は外国からの侵略者、もっと彼らに“有難う”と敬意を払うべき、と思っている。
外国からの観光客が、外貨をここに置いて行く有難い存在、と彼ら自身考えること自体、
彼らに対して優越感を持つこと自体、すでに成金さんと同レベルになりはしないか?
やれ韓国の、やれロシアの成金さんのマナーが悪い、と批判する前に、
我々自身もタイ人に対して、誤った態度をとってないか考えるべきではなかろうか?

チャン島で生活していれば、言葉が分からず、うわべでしか物事の判断が出来ないが、
何時も微笑んでいるタイ人から、普段忘れがちな大事な事を教えられる気がする。
彼らの生活ぶり、幸せそうな表情、笑顔、皆で助け合って生きて行く生き様・・・
本当の幸せとは、矢張りお金では買えないものだ、と。


ホワイトサンドビーチ
週末以外、殆ど100%西洋人ばかりのホワイト・サンド・ビーチ。

 

                    チャン島にて  2009年2月1日
いくお




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