IKUOのひとりごと 〜フランス便り〜


<2017.11.10 File No38>


振り返れば。。。


日本でもやっと旅行者としてパスポートは取れる時代になったが、未だ海外旅行は夢の夢、
1ドル360円が定番だった1968年3月末、トランク1つぶら下げて
当時尤も早かったアンカレッジ経由で、未だ薄暗いオルリー空港に着いた。
人世の半分どころか、半世紀に渡りフランス暮らしをしている訳だ。
誰一人知っている人も無く、言葉も分からず、映画で見ている場面に突如として
自分が割り込んで行った感じのショックを受けた!

家族を遠く離れて訳の分からぬ外国で一人歩き始めて、正に自分の人世は
この50年間に凝縮されている。
日本に居た当時の幼なじみ達とは全く行き来がなくなったが、パリに着いた
ばかりのうら若き当時、親しくなった友人たちとは、今も何もかも分かり合った
友情を保つと同時に、色んな国に住んでいる友人たちと知り合ったのも、全て
パリで生活する様になってからのご縁だ。

25年程前、カンヌでアート・ディレクターとして日本の着物染織家の布での
ファッション・ショーを掲げて来仏された、中谷哲夫さんを紹介された。
初めてお会いしたのは、早朝のニース空港。
日本からの長旅でパリに着いて、飛行機待ちしてニースに着く、と言うハードな
旅に、更に日本との時差を考えると、何と平気でこんな爽やかな顔をしているか?
と、不思議に感じたのが、彼と会った第一印象だった。

ひょんな事から、京都のコロナ堂さんと言う店と、IKUO Parisのアクセサリーの
取引が始まり、後に京都でイベントを催して頂く事になったのがきっかけで、
日本ツアーとして毎年、5月から6月にかけて数カ所でのイベントを催す事になり
毎回帰国して既に25年近くなるが、第1回目の京都展に、中谷ご夫妻が尋ねて
くれ、我々も、会社に別の輸入部門を作って、IKUOアクセサリー販売をしたい、と、
提案頂き、以来現在に至っている。

話を頂いた翌年5月、当時お住まいの奈良の居心地良く、センス良いご自宅で、
彼らとの第1回目のコラボが始まった。
ホーム・パーティー式に始めよう、と言うのが、思いがけず、沢山のお洒落で
チャーミングな女性たちに囲まれて、初めて目にするアクセサリーなのに、
受け入れて頂けた、と実感する事が出来た。
主宰者の中谷さんたちも、良い感触受けられた様で、将来的にアクセサリーに合う
皆さんの来易い場所を、と探し求めて見つけて頂いたのが、
既に20余年、変わる事なくイクオ展は必ず伏見ビル・サロンで、と定番になってしまった。

大阪、北浜界隈は、今も古き良き時代の名残ある一角で、パリのアールデコの
時代を思わせる雰囲気が漂っている。
イベントに駆けつけてくれる友人の中にも、ここで展覧会してみたい、と考えて
いる人も居るくらい、建物の中に一歩踏み入ると、違う世界に入る、魔法に
掛かったようになってしまう不思議な場所だ。
オーナーさんの建物に対する愛着も感じるし、テナントさんのここに居る、と言う
歓び、誇りも感じる。
中谷さんも自分のオフィスをここに移して、同時にイベントしたい人に会場として
各種アーティスト、ショールーム、講演、その他多目的ルームとして使えるよう、
皆さんと共有するため、生活様式を変えられた程、この場所に愛着されている。

まだ、メールどころかパソコンも持ってない時、中谷さんからホーム・ページを
作りたいが。。。と話を頂いた。
お客さんがIKUOさんはどんな人か知らないので、色々情報流せますから、と。
分けも解らず、ハイどうぞ!と答えて作って頂いたHPは、コチラからの情報を
怠けて充分送らず、更新少なく申し訳ないけれど、中谷さんの本来の仕事の一つ、
パソコン使っての、得意とする所。
同時に各種催しのアート・ディレクターとしての仕事や、企業開発等も相談受けて
販売方法、戦略法、プロモーション、等幅広く活躍される分、友人、知人関連の
間口が大きいので、何かにつけて相談、協力して頂くが、嫌な顔一つするでなく
仕事にならない事ばかり頼むのに、毎回協力してくれる彼には、随分助けられて
自分一人で何も出来ないカバーを、色々お願いして来た。
そして多分、これからも。。。

物作りを仕事とするには、どの分野でも最低の才能は当然欠かせない。
同時に、人間の才能なんて、類い稀な天才でもない限り、正直言って大差ない。
フリーの仕事を続ける人は、最終的には如何に良い協力者が回りに居るか?に
掛かって来るのではないか、と、年を重ねるごとにその思いが実感として感じる
様になって来た。

今、この50年間の自分を振り返ってみると、困った時には友人の手を借りて
抜け出す事が出来たし、良い仕事の話も必ず友人から持って来てくれた物ばかりで
積極的に自分から探し求めて手に入れた物は、何一つない。
実際、素晴らしいと思う人の周りには、同じような人が居て、と、分けも解らず
始めたフランス暮らしを、若い頃から続けて来られたのも、彼らの援助が
有っての事だ。

中谷ご夫妻と、仕事の関わりが出来てからも大勢の方達と、繋いで頂いた。
長く大阪で仕事している分、地元での信頼も厚く、彼からの紹介、と言うだけで
コチラも大事に扱って頂いた。

日本では未だファッション・アクセサリーは必要ない時代、こんな物、誰が付けるのですか?
と言われてショボンとしていた頃、東京の友人を通じて紹介頂いた
ニットを芸術の領域に認めさせ、同時にカラリストとしても著名な秦砂丘子さんが
次の私のショーに使いましょう、と、即受け入れて頂いたのが自分にとって
日本初デビューに当たるが、そのショーの仕事のアート・ディレクターも、何と
中谷さんの仕事で、繋がりが有ると分かったのは、ずっとずっと後の話だ。

未だ、一点ものシルバーのジュエリーしか作ってない頃知り合いお世話になった、大阪で
美容学校経営されている藤井妙子さんが、新築校舎と合わせて、
オートクチュール、ヘアーサロンをオープンされる事になり、オープニング時に
自分のジュエリー販売をして頂いたのが、日本での初販売になる。
既に45年位前の古い話だが、今もイベント時に、覗いて頂きお世話になって
いる方だが、皆さん中谷さんとも接点が有ると、矢張りずっと後に分かった。

東京で未だ店を経営している時、テレビショッピングの話が舞い込んで来た。
ウチでは力不足で無理、と言うのを、バイヤーさんの熱意と面白い企画で説得され
最終的には、試してみましょう、と、お願いする事になった。
丁度その日の夕方、東京出張で中谷さんが店に来てくれたので、話して聞かせたら、
住友系の会社だから、義理の兄に聞いてみる、と言われ、何と当時、系列会社の
メディア会社社長さんで、随分近い所にいらっしゃる事が分かった。
又別のご縁も、コチラのルートからも始まった。

仕事とは関係ない分野でも、ジャズ・ピアニストの大塚善章さんを、
紹介されたのも中谷さんのご縁だ。
後に私の居るメイエ村の、12世紀のロマネスク教会で、2度にわたり彼の
コンサートを開催するに至った。
今も現役で活躍されている善章さんのトリオは、
世界最年長トリオとして、ギネスに登録され毎年更新続けている。

振り返れば多くの友人知人とのご縁を頂き、自分の生活に潤いを与えられている。
今も昔も変わらず、落ち着いて静かな彼の立ち振る舞いに、横に居るだけで
こちらまで気持ちが安らぐ安心感を与えられる。

フランス暮らしの50年間に知り合った大勢のアーティストの中から、
来年2018年のクロアチア、ドブロブニクでの友人が主宰するフェスティバルで、
20人のアーティストを紹介する事に決まって、既に1年余り、準備を進めている。
中には、当然、中谷さんを通して親しくなった方も居るし、彼にも準備進行の
ボランティア活動をお願いしたが、二つ返事で引き受けてくれた。
当初の予定より随分規模が大きくなった分、やる事も増えて其れなりに時間も
取られるが、何時も速やかに皆さんに情報流して、対応頂いている。

クロアチアでは日本全国からの参加者と、現地の人々。
その上、世界中から観光客が訪れる観光地。
又、どんな巡り会いが待っているのか分からないが、行動ない限り次のステップに進まない、
と言う基本が、我々の中で暗黙の了解として、共通して持っている。
過去を振り返るだけでなく、未だ暫くは中谷さんと一緒に前向いて前進出来そうだ。

クロアチアの後は、さて何をしようか?
少し又、アイデアが煮つもりつつ有るけど、今は未だ内緒。
中谷さん、又、お次ぎも宜しく!!

 

秋深まるメイエ村にて
   2017年11月8日





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