IKUOのひとりごと 〜フランス便り〜


<2018.7.10 File No39>


クロアチアでのフェスティバル


アドリア海に面した風光明媚な中世の町、ドブロブニク市でフェスティバルを
毎年開催しているVinkoから、是非一度、日本をテーマに実現したいが、と協力
受理して2年近くの準備期間を、終えてしまえば瞬時の4日間の為に費やした。
特に今年に入ってからは、他の事は何もできぬ程、ドッポリ準備に追われた。
Le Petit Festival du Theatreと言う名の如く、小さなフェスティバルに関わらず
事前準備には、やる事は一杯有る。
今年6月14日から17日までのフェスティバルは第14回目になったが、
第1回目からアムスを拠点に絶えずヨーロッパ中移動している主催者Vinkoと、
現地に住む従妹2人、総勢3人で無収入な個人イベントとして携わっている。
市や商店、会社からのスポンサーと、不足分は毎回自分たちで投資している。
(注:第1回目のフェス、及びVinkoに関する事はAlbum 07/2005 ユニークな友 Vinko 参照下さい。)

今回、日本サイドではパリに住む小川さん、大阪の中谷君、画家のあまのさん、
木工デザイナーの永尾さん達には、並々ならずお世話かけ、助言、アイデア、
その他、自分の不得意な部分を全て補ってくれ助かったが、やってみて初めて
雑用の多さには驚いた。
良く14回も、たった3人で、クロアチアでやって来られた物だと改めて彼らの
努力の偉大さに、頭の下がる思いが募るばかりだ。

今回のフェスティバルは、テーマが日本で参加者も大勢日本からも来る事、そして
何よりレベルの高いアートの発表、現地での交流、等が認められ、在クロアチア
日本大使館の後援申請を受理して頂けた。
偶然にも、今年は日本・クロアチア外交関係樹立25周年に当たる年で
その記念イベントとして公式承認され、その為作られたロゴ・マークも使用許可された。
名もない個人主催の小さなフェスティバルが、公に認められた事で、我々には
更に良き物にする為の努力、そして勇気を与えられた。

“アートとは消えかかったロウソクの炎のような物かも知れないが
道に迷ったとき、航海を導いてくれる月明かりの役目を果たしてくれるものだ“、
という第1回目開催時のVinkoの文章を今も思い出す。

展覧会の前に、朝から旧市街にあるRector’s Palaceで、献茶から始まる格式高いお茶会が、長崎から来られた10人の茶人によって披露され、皆さんでお茶を楽しんで頂けた。
午後からは古い木製の帆船で、アドリア海の上からドブロブニクの町を眺めての全くリラックスした、、お茶会を楽しめた!
和気あいあいと、賑やかに。

日本人アーティストによる17人展がモダンアート美術館別館で開催された。
何せ、無収入フェスの為、旅行社が中に入って参加者募集する訳でもなく、自分達皆で作り上げるお祭り、知らない者同志が寄り集まって、イベントを作り上げ、
新たな絆を、ご縁を分かち合い、現地の人との文化、友情交流を目的とする、
主催者Vinkoの事も、13回既に続いたフェスの事も、何一つ知らない友人
アーティストに声をかけたら、皆さん興味を示してくれた。

展覧会Magical Creations of the Land of the Rising Sunが
始まるオープニング・パーティーは、ピアノ・コンサートで幕を開けた! 仏文学者のご主人の仕事関係で2年前からパリ在住の
横田麻友子さんにお願いした。
ヨーロッパでのコンサートは初めてだが、最初の曲、
伊福部昭:組曲から<盆踊り>の演奏とともに
お祭り気分になるようなリラックスさが会場一杯広がり
寛いで楽しめるムードで気分良く演奏されている様子も
ピアノも幸せそうに、響いて来る。

ラヴェル、ショパンへと続いて、初顔合わせした参加者同士の間にも、和やかな
空気の流れを感じる良い状態になって、展覧会場へと移動。




三つ折りにした展覧会案内状、表裏
絵画、写真、書、彫刻、木工デザイン、陶芸、
紙による原寸大昆虫、インスタレーション、
帽子と幅広い作品を集めて、一見まとまりが
ないようだが、どの作品も質の高い作品群で
全体で一つの作品のような見応えある
良い展覧会となった。
各作家の作品、人格を知ってのセレクトが
従来の日本イベントとは違う、鑑賞出来る
展覧会となったのは嬉しく又、紹介者としては誇りにも思う。
皆さんが、今、日本で発表する作品を見せて欲しい、という希望が叶い、特に意識した日本を
見せない事が正解だった様だ。
そして多くの作家同士が、作品、人、と共に
共有出来る何かを感じた様で、正に当初の望み
通りの進展も、嬉しい。。

美術館前の広場で、折り紙、彫刻、紙の昆虫、 そして書のパフォーマンスも行われた。 紙で作る昆虫、特に4ミリ位の蟻、その物のようなのが、瞬く間にハサミとピンセットで下描きもなく出来上がる斎藤健輔君は、大モテだった。
利空さんの書のパフォーマンスも多くの世界中から集まる観光客が、自分の名前を寄せ書きして 賑やかで大成功だった。

第1日目のパフォーマンスが、いよいよ夜9時半からスタート。
フィンランド人の男性ダンサーによるパフォーマンスに続いて、
サンフランシスコ・バレー団の女性二人によるバレーへと続く。


フェスティバル・ポスターを
パフォーマンス・案内状にも

今回のフェスティバルは日本から、そしてフランスからも友人達が来てくれて、総勢81人がドブロブニクに集まってくれた。
本来パフォーマンス部門では、ダンス、音楽は勿論の事、演劇、詩の朗読、講演、映画上映等で毎年テーマを決めて行うが日本からのお客さんの多い事を考えて、言葉の不自由なく楽しめる、音楽、ダンスを中心に今年の企画をされた。
海外からのパフォーマーは、フィンランド、アメリカ、スウェーデン、ドイツ、ブラジル、クロアチア、スイス、フランス、オランダから集まった。彼らは、自分たちの方法で、自分の思う日本を表現する、
を条件に、創作されたプログラムを持って来た。
全て今年のテーマ、Sun and the Land of the Rising Sunに沿った物で統一されている。
そして日本からのパフォーマー、アーティスト達は今の自分たちの仕事、今の日本での自分の仕事を発表し、時代遅れの海外向け日本を媚びる事なき作品を、皆さんにお願いした条件だ。この点も従来の日本フェアーと違う物になった理由だと思う。
日本から見る海外と、海外から見る日本のギャップが、日本に住んでいる人とは、我々海外在住組とは当てるマトが違う様だ。

そして日本人によるフェスティバル最初のパフォーマンスは、、、既に時刻は22時30分。
今回初めて逢う日本人女性3人による書、チェロ、そしてダンスのコラボ。
フェスの良い所は、知らないアーティスト同士が現地で会ってコラボ出来る事だ。
勿論事前の打ち合わせはメールや電話で出来るが、現場でステージの取り方、
段取り、照明、音響、全て短い時間でリハーサルが必用だが、日中の短い時間に
同会場で3つも4つもあるパフォーマンスのリハだからストレスもたまるだろう。
私はリハ参加出来なかったので、ぶっつけ本番で、本番を見る事になった。

スタートは宮野玄妙さんの書から。
静まり返った広い会場に、いきなり?“イヤー!”と
大声で鳴り響く彼女の声が!!
この気合いの一声で、全身に鳥肌が立った。
ヤッター!と思い、既にコラボの成功を感じた。
書きたい大きさは2m X4m、墨を飛ばすから。。。とか色々心配されたが、とにかく希望に添う様に、または近い解決策を見つけるから、と話していた

事柄が、脳裏をかすめ次々頭に浮かんで来るのを思い出しつつパフォーマンスに
見とれていれば、いつの間にか涙が流れていた。。。
こんな素晴らしい感動を皆さんと共有出来る事に幸せ感で満ち足りた。

拍手喝采で終えた書の後、隣の部屋からチェロの音が。。。
引きつられる様に全員移動。
パフォーマンス会場となるLazaretiという場所は、中世に建てられた海岸に面した石造りの建築物で、後には病院として使用された幾棟にも渡る広い場所の2棟を
フェス用に市から提供されている。
ペストの流行ったヨーロッパで、船から着く旅人、乗組員全員を40日間滞在させ
安全確認して初めて上陸出来たので、町にはペストが出なかった、と聞いている。

皆が着席して直ぐ、植草ひろみさんのチェロが始まった。
チェロ・ソロコンサートは翌日予定されているが、自分のコンサートとは違う曲を、
演奏したい物を、という事で、アストル・ピアソラ、彼の親友ブラガートに捧げる
彼女自身作曲のオリジナル曲を演奏された。

そしてD.A.I. 出会いー愛、というテーマで出来上がったばかりの創作ダンスを
鈴木香里さんへとバトンタッチ。

普段はパリ在住、ヨーロッパ中心に活躍されているダンサー香里さんは、パリではオペラ座、ロンドンではロイヤル・バレエと大舞台を踏んで活躍中。 フェスの1週間前に網膜剥離で手術を受けたばかりで、ドクター・ストップで飛行機に乗れない。1ヶ月休養、仕事も駄目、と言う状態に関わらず、電車とバスで遅れが出た事も重なり

パリから飛行機で2時間20分の所を48時間かけてドブロブニクまで乗り継いで来てくれた。(ドブロブニクは鉄道がない)眼帯外してステージに立つのが恐い気がするが、全く観客にはそんな事分からず初演された“出会い”は、コスチュームへの工夫、動きの工夫、次はどんな?と
楽しみ満載の素晴らしいショーとなった。

3人の自己紹介終えて、第4幕となる最後のエンディングが3人のコラボ作品。

テーマはフェス及びVinkoの人世
スローガン、愛に万歳! Vive l’Amour !
植草ひろみさんは、ドブロブニクの地で
ボーダレスな3人のエネルギーが交差する様子をイメージして自身で作曲された
“Vine l’Amour !”を初演された。
玄妙さんの書は勿論、愛!
書き終わりと音楽の終わりでぴったり

息が合って見事なエンディングに拍手は止まない。

第1日目は無事終了。既に真夜中近い時間だが、会場直ぐ横の海岸レストランで
主催者とレストランの好意で、夜食会を催されて長い1日は無事過ぎた。

2日目、日中はそれぞれ市内観光をしたり好き勝手に時間を過ごすが、裏方役は、 あっちこっち、動き回り落ちついていられない。
観光事業で成り立つ町、観光客の必用とする物は何処でも簡単に手に入るが、夜毎のパフォーマンスのプログラムの用意して来た物を、コピーしたくともコピー屋が何処にもない。
車で2Km程離れた新市内に行かねばならない。全てこの有様だ。

夜8時からフィンランド人、女性二人のパフォーマンスが始まった。
去年見て気に入ったので、今年も又是非、と希望したパフォーマンス。
会場直ぐ後ろの岩場海岸で演じる、何の変哲もないものだが、メッセージは海から上げられたサンダル群が象徴する様に、汚された海に捧げる祈り、フィンランド北部の祈りらしいが半音階の哀調あるリズムに聞いていて心地よい女性二人の声が心安らぐ物となる。

9時から植草ひろみチェロ・コンサート、“?Dreaming?”
10年間、新日本フィルハーモニー交響楽団で小沢征爾氏らと仕事され、
高橋キヨシ氏のNYカーネギーホール公演でも出演、アメリカ、そして去年は
フランスでもコンサートされた、誰もが認めるキャリアの持ち主。
毎週土曜日の夜にはラジオのレギュラー番組も既に3年以上続いている売れっ子だ。
コンサートでは今春リリースされた自身作曲ばかりを集めたCD、Dreamingを
中心に、日本の曲やバッハも交えてチェロの素晴らしさを見せてくれた。
石の建物の音の反響が日本の物とは違うが、演奏しているひろみさんは何時も
幸せそうに、嬉しそうにチェロを愛撫しているような感じを受ける。




使用楽器は19世紀初めのイギリス製チェロ。
飛行機はその為に1席確保必用と言う移動にもお金が
掛かるが、200年以上古い楽器故、注意も必用で、何処でも何時でも演奏出来る物ではない。
湿気、直射日光は避けねばならない。
皆さんから好感持たれる性格で、今回も市の広場での演奏も、依頼されていたが太陽の具合で実現出来なかった。

ひろみさんを紹介下さったのが船橋で植物ハウスの様なユニークな花屋兼アトリエでセラヴィの主催者である宮崎慎子さんだ。植物全般の空間プロデュース・イベント装花を
手がけ活動の幅広い。
メイエ村でのコンサートに続き、ドブロブニクでも現地に咲く今の花を中心に、ステージを

アレンジしてくれたのは、何の変哲もない石の四角い部屋に暖かさを演出してくれ
今回のコラボも友情コラボとして、何時迄も心に残る思い出となるだろう。

その後に続く、2日目最後のパフォーマンスも日本とフランスの合作になった。
Campany Tsurukam は、ダンサーの鈴木香里さんと、ご主人のSebastian Vuillotが
2004年にパリで立ち上げた物だ。
香里さんは幼少の頃からシンガポールそして日本でクラシック・バレーを学び
1989〜1996年まで日本でクラシック・ソロダンサーとして活躍。
1997年よりフランスに移住して、コンテンポラリーや舞踏、役者としても
舞台を踏む幅広い活躍、フランスの俳優ランベール・ウイルソン主演のミュージカル、<王様と私>にも出演、日本人としてパリでも珍しいキャリアを持っている。

Sebastianは1985年ジャズ・ダンスでスタート。以後コンテンポラリー、タップダンスへと進み。能や狂言は日本で学んだ。

2002年、マリオネットの巨匠と言われる
Christian Remer, Alain Recoolingと知り合いマリオネットを始める機会を得て、今では<The Festival of Marionettes in Paris>を国際的にアーティストを招いて主催している。
今回の<鶴の恩返し>でもふんだんにマリオネットを取り入れて、私の直ぐ近くで見ていた4歳に

なるノアも、時間が遅いのに目を凝らして見ていた。
香里さんの最後のシーンのトーシューズで鶴がクルクル回って飛び立つシーンが
片目で大丈夫かと心配したが、見事に決めて気持ち良くフィナーレを迎えた。

Company Tsurukamはフェスティバルのスターで、毎年呼ばれる人気と実力を、
今年も充分発揮された。
同プログラムは去年秋、パリの日本文化会館でも上演され、来年1月には
ストラスブルグでの公演も決まっている。

公式プログラム最後の日、3日目の夜は、20時45分から薮内綾さんの
ショート・フィルム上映から始まった。
彼女は大阪の大学卒業後直ぐ来仏。
大学とは全く関係のないメイクアートの勉強に、Ecole Christian Cheveau で1年間
学び、著名なるメイクアーティスト、Stephan Maraisのアシスタントとして2年間
パリコレ、雑誌撮影、広告等トップモデルのメイクに関わり経験を積んだ。
仕事仲間のトップモデル主演映画のメイクに、彼女からの指名で呼ばれたのが
映画界との始まりで、監督だったリュック・ベッソンにも気に入られ、彼の映画、及びプロダクションを中心に、パリコレ、雑誌、広告等の仕事をこなし
フランス・メイク界での確実なる地位を築き上げた実力者だ。

映画の仕事を始めて数年後に、仲間達の協力、後押しも有って自分のフランス語の詩を映画による表現したくなり、今回のショート・フィルムが出来上がった。

薮内綾の作品<Mon Cher>私の愛しい人は:
    好きな人、大切な人、家族、
      愛しい誰かと別れる時が来たら、、、
        伝えたい素直な感情、、、、
が、テーマとなって書かれた詩だ。
パリ、サンジェルマンの映画館でも上映されたが、
この会場の方が、この映画には合っている、と本人も
言う様に、私的な雰囲気の良く出たムードで、彼女の

デリカシー、繊細さに、そして上映後のスピーチに皆感激した様で、数人から
一番感動したのは、綾チャンだった!との批評受け、生まれた時から今までの
流れ、成長ぶりを知っている者としては、最高のお褒めの言葉を頂いた。
海外で一匹オオカミとして仕事を続けるのが、如何に大変か分かる分、まして
映画、ファッション界という特殊な世界で生き残るには、才能とは別に相当
辛い事も体験しているに違いないと思えば、惜しまぬ拍手を送りたい。

人とのご縁、出会いは、香里さんの今回のショーを真似る訳ではないが、時には
不思議に感じる事が有る。
この後続いた舞は、正にタイミング良い出会いだった。
去年の日本ツアーで東京展の最中、舞台衣装用にアクセサリーを捜しています、
と、松崎夫妻が訪ねて来られた。
聞けば、巫女舞を元祖とした舞を、現代風に創作したものを舞う、との説明。
巫女舞は日本神話にさかのぼり、陰陽の世界、右回り、左回り、動作全てに
意味が有り、太陽を受けるのに差し出す手にも角度が有る、等、基本的な事を
全て守りつつ創作されるそうだ。
アクセサリーは横に置いて、丁度、フェスティバルに面白いではないか?と
説得始めたが、出会うのが1年早くても、遅くてもタイミング良く今回の
ドブロブニクに繋がらなかっただろう。
夜9時から待望の舞(Mai Dance)が始まった。

舞:雅子
音楽:海津 堅
アートディレクター:松崎光保

説明によると、雅子の舞は、古代からご祭祀で主に神社に奉納されてきた舞や民族芸能の
世界と、現代音楽を結ぶことで表現する
スタイルです。

今回音楽担当された海津さんも、沢山の作曲を手がけて同時に面白く興味深い
活動を多方面でされている方です。
彼はクロアチアの後も旅を続けて、先週もサハラ砂漠の気が遠くなるような
見事な星空の写真がFBでアップされていました。
興味ある方はHPをご覧下さい。 http://thesounder.net/saito/home.html

3演目で構成された今回の舞、まずお馴染みの羽衣から。
日本では古来より海の彼方や天上世界から来ると考えられていた来訪者はこの世に
幸せをもたらす為に来ると考えられていた。
最後に羽衣をまとって天上に戻る場面を見ていると、本当に空に昇って
行くのではないか?という気になった不思議な経験をさせて頂いた。

弓儀り(ゆみふり)は、古い儀式の舞で、弓は魔を退治し、場を清めて浄化する
儀式に用いるが、矢を放たないのは人を裁いてはいけない、という考えから。
雅子さんは古代から伝わる神儀古代宮舞(かむふり こしき たまやまい)を
学び、舞という言葉は男神イザナギと女神イザナミが、天と地を繋ぐ柱を回って
万物を生み出してこの世が誕生したと言う神話から生まれたと伝わっているそうだ。

最後の演目、祈りは作曲家:海津 堅さんの音楽と雅子さんの万物に感謝を捧げる舞で、今、この瞬間に感謝を捧げる祈りの舞。

戦争、テロ、難民問題と落ち着かない世界情勢で益々世界的に精神的な支えとなるものを求める傾向に有るが、ショーを見た後の平穏な気持ちが新鮮で、何もかも
静かに時が流れて行く感じがした。
心の平和を与えられる舞、コレからも多くの見る機会の増える事を期待している。
既にフランスでは一般化した舞踏も、40年余り前には誰も知る人もいなかった。
田中民、山海塾のパリ公演成功で今の地位を掴めたのは周知の通りだが
舞も今後の活躍を、そして一人でも多くの人に知って欲しいと願っている。

余談になるが、当初の目的、衣装用のアクセサリーは今回無事、コラボさせて
頂きました!

22時からはブラジル女性による、White rose for Hiroshimaという題目の
ダンスパフォーマンス。
武道もたしなむそうで、一部取り入れたりしたダンスだが、本来空中ダンスを
得意とするそうで、去年のブラジル・ナンバーワンに選ばれたらしい。
ラスベガスでも活躍中の女性。

22時半から公式プログラム最後のショーは、アメリカ人歌手Wayne P Weddington による甘い声のバラード歌手コンサート。
タイトルはFor the children of Hiroshima and Nagasaki.
日本では余り話題にもなる事もなくなった広島、長崎の世界で唯一の被爆地は
西洋の人に取っては今も記憶から消えていない。
永遠のフェスティバル・テーマ、<愛>を歌うコンサートは、
クロアチア人気歌手のヒット曲、Triesta悲しみという曲を、植草ひろみさんの
チェロと、横田麻友子さんのピアノで初顔合わせの3人コラボで、
クロアチア語で歌う事から始まった。
奇麗なチェロの音色から始まる名曲は、亡くなって行く人に捧げる悲しくも愛に
充ち満ちたやさしい詩で誰もが知っている歌らしい。

フェスティバル4日目、最終日は内輪で楽しむフェス、という事で朝から
開放感一杯に有志が勢揃いして、町で一番古い養老院を例年通り訪問。

建物は15世紀の物で旧市街の真ん中に
ある養老院だが、フェスを見に来る事が
出来ない老人達をコチラから訪ねて行く。
今回はひろみさんのチェロ演奏を楽しんで
最後はVinkoが便乗して、自分の詩を
チェロとコラボで披露した。

中庭には1667年の大地震で崩壊した教会跡が今も修復される事なく残っている。
町の4分の3が崩壊し、3000人の死者が出たと言う大惨事だった様だ。
その場所で、この間からスウェーデン人画家、トムが毎日通って老人達や子供達と一緒に絵を描いて、展覧会を日本からの訪問者に、と、開いてくれた。

午後からはハーバーにあるシックなレストランで、オーナー主催で皆に冷たい
ジュースをごちそうしてくれた。
海を眺めての参加者同士の会話も弾むひと時。

最後の打ち上げは、町から16Km離れた海岸にあるレストランで、
内輪のパーティー。
小さな湾になっている海岸で、唯一のレストランで海岸自体プライベート・ビーチ。
未だ日の暮れる前、皆で記念撮影。

ここでも又、植草ひろみさんの
チェロ演奏をお願いした。
フェス関係者、参加者の皆さんに
感謝の気持ちをこめて、現地で作曲されたThank you for everything
という新曲を演奏してくれた。
彼女の人気の秘訣は、こういう
配慮が出来る事に有ると、色々
勉強になった。

その後クロアチア人のデザイナーのファッションショーを、日本からの参加者達にモデル役でお願いして、子供に返った様に皆で遊んだ。
食事の後は大阪に25年来住んでいるスペイン人男性が、自分のフラメンコの生徒さん達とフェスを見学に来ていたので、彼が中心になって大いに盛り上がり、ディスコに早変わり。
フランシスコ・ザビエルさんと一緒に来られた画家の山下和さん、お二人には近い将来、フェスの出演アーティストとしてお願いする事になってくれたら、と、期待している。

夜も更けて11時半、町に戻るバスが出て、観客として来てくれた方々とは最後の
お別れ時間だ。
今回のフェスティバルの成功は、期待していた以上の物になったが、参加頂いた
アーティストの実力は勿論大きな要素だが、観客なくしては成り立たない。
楽しんで頂き熱いエールを送ってくれた素晴らしい観客達にも、本当にはるばる
遠く日本から、有り難うございました!!

皆で一緒になって、何かを作り上げる楽しみ、
感動する時を、皆で共有出来る歓び、
自然体で無理なく付き合って行ける友人達、
日常生活から少し離れての、新しい体験、
全てこのフェスティバルのお陰で味わう事が出来た。

Vive l’Amour !!!

 

                           Le 8 juillet 20I8
                               kuo Ichimori








back  


HOME