未だ20歳になるかならない頃、パリに憧れて、パリのことを色々夢見ていた。
シャンソンや映画の影響からか、秋のパリのイメージが
最もこの街に相応しく思えた。
秋から連想することは一杯あるが、味覚の秋から、栗について一言。
パリに行ったら・・・・枯葉の上を、焼き栗を食べながら、
サクサク音を立てて散歩することも、
ミーハー的な私のパリ生活での夢の一つだった。
1968年の春、“愛と死をみつめて”の空前の大ヒットのまだ余韻のあるころ
オルリー空港に着いて、すぐToursの街でのフランス語の勉強が始まり、
夏のニース大学で夏季講習を受けて、秋に入っていよいよ念願のパリ生活のスタート。
天井が傾斜している、憧れの、夢見たパリの屋根裏部屋を借りることが出来、
荷物を置いたすぐその足で、友人に連れて行かれたのがパリ大学病院。
右側の顔面が、愛と死をみつめてのミコのように硬く腫れて、痛くて口も開けられず
食事もろくに取れない状態を見かねてのことだ。
病院とは縁のない生活だっただけに、ショックが大きい。
先生から即入院、と、宣告された時は、やっぱり自分もミコと同じ病気で死んでしまう、
と思えば無性に悲しく、パリはもうどうでも良い、
日本に帰って、もう一度両親や家族に会ってから死にたい、と思った。
なだめすかされ、何とか入院して色々検査した結果、原因は、歯、親知らず!
親のことを思っていた矢先に、親知らず、とは・・・
ちなみにフランス語で親知らずのことは la dent de sagesse 思慮分別(知恵)の歯、
と言います。そういうのが普通は付いてくる時期、なんでしょうか? (22歳でした)
朝晩2週間お尻にペニシリン注射。腫れが引いてから抜歯して終了。
入院中、親知らずと分かってからは外出許可がでて毎日大学病院の横の
大きなモンスリー公園に散歩に行くのが日課になった。
枯葉の上を、サクサク音を立てながら、焼き栗を食べながら散歩する
私の夢は入院中にあっけなく実現することが出来た。
毎年焼き栗の季節になると懐かしく思い出す。
同室だった深刻な病気持ちだったジェラーとは、彼が地方の療養所に行った後
連絡が途絶えたが、今も元気に、どこかで暮らしているよう願うばかりだ。
栗と単純にフランス語で言うには、chataigne(シャテンニュ)と言わないと通じない。
店でマロン1Kgと言っても売ってもらえない。
マロンは通常、マロニエの花の後に出来る、食用ではない実を意味する。
正確にはMarron d’Inde、なぜか知らないがインドのマロン、と言う言い方だ。
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