IKUOのひとりごと 〜フランス便り〜

<2008.3.7 File No.4>

タイからの便り


友人達が呆れ果てる程飽きもせず、毎年12月から3ヶ月足らず、タイに来ている。
ヨーロッパの真冬を留守して既に15年以上になる。タイ滞在期間を通算すると
数年間に及ぶのに、未だにタイ語は全く分からない。

言語をマスターするには、覚える気がなければ何一つ記憶に残らず、通過して行くばかりで
無心の子供でない限り、やはり努力が必要だ。

弁解ではないが、言葉の全く通じない国で生活するのは、大変リラックス出来る。
私の旅の目的は、心からリラックスして、ストレスのない生活をする事。
此処では周りのモロモロの出来事を理解する必要のない気楽な生活が出来る。

初めてチャン島を訪れた10数年前は、土地を持っていた漁師がバンガロー経営している所や
ドイツ人やスイス人の外国人も含めて、個人でホーム・ステイ感覚でバンガロー経営している
状態だった。

夕方6時から夜10時迄、薄暗い電灯と扇風機、その上トイレ+水シャワーが部屋に
付いていれば最高の贅沢!!
働くスタッフも地元の青年達で言葉が全く通じない。
食事の注文も一苦労で何度も失敗を繰り返し、必要に迫られて唯一‘カオー’と言う単語を
(ライスの意)覚えた。

元々、漁師と自然ゴムの木の栽培しか産業のなかった島に、今は1万4千人収容出来る
ホテルが建ち並び、数少なくなった海岸沿いのバンガローもデラックス・ヴィラと変化して
マネージャーやレセプションで働くスタッフも英語を話す人達がバンコックや
その他の都会から働きに来ている。
労働条件も改良され、従業員の寄宿舎を備えたホテルが沢山ある。

島では人間と物質の運搬用の小型トラックしか見かけなかったのが、2ヶ所の港から
30分毎に来るフェリーの運航で、乗用車、ダンプカーがドッと上陸して
島の滞在者達の乗るモーター・バイクと合わせて、道路側の騒音もひどくなったし
道の横断が危なくて仕方ない。
尤もその分、道幅は広くなったが、所狭しと衣類、お土産店が軒並みに並んでいる。

‘夢の楽園’を見つけた、と喜んでいた頃知り合った人達は
今はもう誰もチャン島に 来なくなってしまった。
より未開の島を求めて・・・・彼らから色々と情報が届く。

今回、久しぶりに4日間チャン島を離れて、スピード・ボートで2時間の距離にある
Koh Koodとその中間にあるKoh Makと言う2つの島を訪れた。

Koh Koodは白い珊瑚砂の海岸で、海は透明クリスタル。
ほとんど人を見かけない広大な海岸でロケーションは最高!
リゾートのレストランで三食する以外、他で食事出来るレストランがないのは多少の期間なら
我慢出来るが、致命的なのは、白砂の海岸では例外なく白ノミ(puce de sable)がいて
私は体質的に刺されたら腫れ上がってしまう。
海岸を散歩したら、背中だけで30数ヶ所刺されて、Koh Koodの美しい島での長期滞在は
断念した。

チャン島からスピード・ボートで45分で行けるKoh Makは、小さな島だが既に10軒以上の
設備の整ったバンガローが出来ている。
海水はやはり透明。近くの島々が目の前に見えて、海岸の後ろはジャングル
まるで地上のパラダイス。
幸い予約したバンガローも快適で何より広いスペースが気に入った。
リゾートにレストランが2軒あるのも有難い。
波の音しか聞こえてこない静けさ、これ以上、何も望むものがないではないか。。。?

私の楽園を求めて島々を探し歩いた時から既に15年程の時が流れた。
悲しいかな、15年前には考えもしなかった事が頭の中を行き来する・・・
この島には病院も薬局もないではないか!
万一の時どうする?
ロビンソン・クルーソーに憧れる気は今でも十分あるのに、ヘルペスで一度倒れた経験が
長期滞在するには躊躇する。

私の滞在するチャン島のホテルには、スウェーデン中心にスカンジナビアからの旅行者が多い。
年配の旅行客が多くホテルのビーチはまるで老人ホームの様だと陰口をたたいていたが
今回、なぜ高齢者が安心してこの島に来るのか分かった。
近辺に薬局が5軒、島に病院が2ヶ所ある。
食事もタイ料理だけでなく、ビーフ・ステーキからイタリア料理と、ほとんど何でも食べられ
ホテルでは英語で不自由なく安心して生活出来る便利さ。
私もいつの間にか彼らの仲間入りしてしまった様だ。

今やチャン島は‘夢の楽園’ではなく資本主義の開発した快適で便利な観光地となってしまった。

あと数年もすると、パタヤやプーケット同様、都会となってしまうかと思うと残念だが。。。

 

チャン島にて
2008年3月7日 Ikuo




チャン島  チャン島


チャン島



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