IKUOのひとりごと 〜フランス便り〜


<2015.2.17 File No.26>


象の島・チャン島


フランスで象と言えば真っ先に思い浮かべるのは、象の記憶、という言い方で
何時迄も忘れることない記憶の持ち主を言い表すのに使う。

ポジティブに褒める場合も、また反対に何時迄も、恨みツラミを忘れず覚えている
ネガティブな人にも使われる表現法だ。

必ずしも良いイメージだけ思い浮かべる動物ではないが、タイではシンボルマークのように
タイ国を象徴する動物で、長寿、健康、幸福の象徴として、皆から愛されている動物だ。

 

象はタイ語でチャンと言うが、象の島と名付けられたチャン島の由来は,以前、
島に沢山象が居たからだと人から聞いたが、考えてみれば車のない島では
荷物を運ぶのに象は必要で、特にこの島だけに居た訳でもないだろう。

象に似た山が有るとか、島の形が象に似ている(?)とか、象を思い浮かべる形の
半島が有るとか、プーケットに次いでタイで二番目に大きな島だから大きな象のイメージで、
と言われは色々あるがどれもこれも今ひとつ説得性に欠ける。

 

チャン島に初めて着いた翌日、目を覚ませたバンガローから一歩外に出ると2Km余りの
長い砂浜が目の前に開けている。

仮の宿と承知で泊まったバンガローから数えて、3軒目に泊まったバンガローが
自分の望む物を提供してくれる所と立地条件から判断した。

当時カラオケがタイでも増えている頃で、2軒目に泊まったバンガローは、日中予測出来なかった
カラオケの調子はずれの歌に、夜中迄悩まされて静な所を再び捜し始めたのだ。

 

島の西側に位置する何カ所かある海岸の中でも、最も北端にある海岸、ホワイト・サンド・ビーチが
一番開発されて宿泊施設の整っている地域だが、2Km余りの長さで続く砂浜の海岸線は、
当時から既にリゾートで埋め尽くされていた。

3軒目に見つけた所は海岸の一番南端に位置しているリゾートで、この先にも未だ2軒の
リゾートが在ったが、それらのリゾートには目の前は海だが砂浜がない。

反対に此処より北に2Kmの海岸には軒並みにすぐ目の前が砂浜のバンガローが続いている。

 

見つけたリゾートでは古いバンガローが大半を締める中、新しく作られたばかりの
木製バンガローが丁度上手い具合に空いていて、当時としては珍しく大きな窓ガラス付きで
ベッドから海がすぐ目の前に見える贅沢さ。

トイレ、シャワーは別の場所に、というのが大半の中、見つけたバンガローにはトイレ、
シャワー付き、電気も夕方6時から10時迄ついて、扇風機もその間は使う事が出来る
最も新型のバンガローの豪華さ。

 

今から丁度20年前に煩った耳に出来たヘルペスで、右耳が全く聞こえなくなった直後で、
片耳で聞き取る事に慣れてない時、自分の声も含めて全ての音が頭の中で反響するので
波の音しか聞こえないバンガローで、とにかく久しぶりに穏やかな居心地良さを感じた。
以後10年近く同じリゾートの同じバンガローに滞在する事に成ると迄は、
当時は考えていなかったが。。。

 

船着き場から町に入って来る道路、北から南に降りて来ると右側に海岸、
リゾートが並んでいるが、左側山手の方には未だ何もない、熱帯雨林の茂った森、
雑木林が在るだけだが、道路に面して万屋が1軒と、小さいスーパーが1軒有ったので
最低必需品はどちらかの店で間に合った。

レストランはどのリゾートにも有ったが道路側には数件数える程しかなく、食べる物、食べる場所には
制限有ったが致し方ない。

 

夜は真っ暗でボコボコ道を歩くのも注意しないと捻挫しかねない有様。

反面、スモッグ、公害の一切ない環境、消灯時間が過ぎると真っ暗な中、星空が見事に見えて
夜毎、南十字星を眺めたが期待する程の物ではなく、想像力巧みにしないと何で南十字星と
言われるのか理解に苦しむ。

三日月を見れば、ここでは傾斜してなく真下から新月が形作り始め、まるでベニスの
ゴンドラのような状態から徐々に大きくなって、ハーフ・ムーン時は下半分月が見える。

 

 

 

従来の島の産業は、漁業とゴムの木の栽培で、傷つけた幹から流れる出る液体を受ける為の
ボール、アルミ製かヤシの実で作った、を木に掛けていて未だ栽培している状態だった。

バナナ、ヤシの木、パパイヤの木は至る所に自然に生えていて、手を伸ばせば
バナナもパパイヤもすぐ取れる。

自然に落ちたヤシの実が、そのまま新芽を出している光景にも至る所で目にする。

 

 

 

チャン島で最初に知り合ったこのリゾートで働くオイさんの事は、既に“チャン島四方山話”でも
書いたが、オーナーは当時未だ40歳位の漁師の息子。

彼のお父さんも未だ健在で時々見かけたが、浜に置いてある船の修理するのをじっと眺めて
時間を過ごす事も有った。

既に漁には出かけてはいなかったが、息子と同年輩の、
共に髪を長く伸ばした漁師も未だリゾートで働いていた。

従業員のオイさんの弟も矢張り髪を長くして働いていたが、どうやらこの3人が元々は
漁をしている時のスタッフだったらしく、時々夜釣りに出かけていた。

いつも海岸から釣りをする物だから、有るとき一度夜釣りに行くのに誘ってくれた。

浜から釣るのと違いさすが食べられる程大きいのが釣れる、引き具合が違うと大いに興奮した物だ。

 

朝食サービスやレストランでの給仕の為2人女の子が働いていたが、次の年にはもう居なく、
スタッフ変動激しい中、オイさんと元漁師達と、台所のおばさん二人はその後もしばらく居て、
皆顔馴染みで毎年着くと再会を喜んでくれた。

長らく働くスタッフ達とオーナーとの関係も、家族のような感じで経営自体もプロのやっている
リゾートと違い、サービス面では何も期待は出来ないが和気あいあいと家庭的な雰囲気が暖かく
又、それはそれで悪くない、と気に入っていた。

 

このリゾートでは頼まない限りは決して来ない部屋掃除係とレストラン給仕、台所、受付カウンター
しか働いている人は居なく、すぐ皆の顔を覚えるが、誰一人としてちゃんと通じる程、英語の分かる
人が居ないのでトンチンカンな事は頻繁に有るが、それでもリラックスして何時も笑って過ごせる人
でなければ、長期滞在はおそらく無理だろう。

 

3年目に新しいスタッフとしてレストランのサービス係に若い男の子が入ってきた。

まっすぐ立っている事がなく骨のない、まるでタコの様に何時もくにゃくにゃしていて、
我々の間ではカウチュー(ゴム)と呼んでいた。

まるで仕事内容を理解していないのか、
お客さんの面倒を全く見ないで同僚とおしゃべりばかりしている。

おそらく人材教育も何もなく、本人はレストラン等にも行った事はなく、
お客さんが必要とする事に、又やらねばならない事に、気がつかないのだろう。

仕事、という概念が全くないようで全ていい加減。

釣りの餌にイカかエビか欲しいから、と頼んでも、
一応台所には行ったけど、ノー・ハヴ、でおしまい。

魚屋は何時来るのか?と聞いても、知らん、でおしまい。

17歳というこの子には、当時頭に来る事は何度も有って、その都度ロベールから
ここはタイ、頭に来ても仕方ない、怒るな、怒るな、と慰められていた。

 

他のスタッフは相変わらず英語が出来ないのに比べて、若いということで順応性も有るのだろうが、
来る度に英語が上達しているので、徐々に彼に対するこちらの見方が変わってきた。

同時に仕事に対する責任感も出てきて、
役立たずのカウチューから成長しているのを認めないわけにはいかない。

オーナーからも一目置かれる様に成ったのが分かるし、その頃から元漁師だったスタッフも
見かけなくなって、オイさんと、カウチュー事、ジャッキーがオーナーから信頼されていると、
我々傍目にも分かる様になっている。

“オーナーから言われているが、何時でも必要な事は言って下さい”とか、
“どこかに車で行きたい所が有れば何時でも案内しますから”とか
ジャッキーから言われる様にもなった。

何もない島での唯一の観光名所と成っている滝や、チャン島南端の元漁村で今は観光船の
発着所に成っているバンバオまで急勾配で急カーブもある恐ろしい道のりを運転して、昼食も
バンバオのレストランに案内してくれたのもジャッキーだ。

 

彼は島の人間でなく、本土の町カンタナブリという町から働きにきているが、
従妹のアンヌも働きに来る事に成った。

彼女も英語は出来ないものの、感が良く仕事にもすぐ慣れて、お客さんの受けも最初から良かった。

ある時、一人で滞在していたカッコいい若いドイツ人が出発するとき、一緒に写真撮りたい、と
Vサインして嬉しそうに写真を撮ってもらっている場面に出くわした事が有るが、
矢張り若い娘らしく、どうせなら年老いたお客相手にするより、若くてハンサムなお客さんには
サービスも自然と笑顔でしたくなる事だろう。

アンヌとジャッキー、そしてどこから集まったのか7人程の若者が海岸にある唯一の
ディスコテックのフルムーン・パーティーに出かける、と奇麗に化粧してお洒落して出かける時にも
出くわした事が有る。

若者達はどこでも同じ様に若いエネルギーを何らかの形で発散している様だ。

 

当時、東京でも店を出していたので、3月には新作会で毎年帰国していた。

タイから東京に出かけて、1週間程島を離れて、再びチャン島に戻り最後3週間程名残惜しく
島で過ごしてパリに最終的に戻っていた。

 

ある年一度、チャン島に戻ってロベールから聞いたのだが、自分の留守中にジャッキーが、
“お母さんが病気でお金が必要になったが、貸してもらえないか?”と言ってきたらしい。

金額を聞けば3500バーツ(1万円余り)と言う。

ロベールに取ったら大金ではないが、
恐らく当時の彼の1ヶ月分のサラリーに匹敵する金額と思える。

当然、金を渡したらしいが、“ロベール、絶対戻って来ないよ!”と言った通り、
二度とお金の事は話題にならない。

若いタイ人でこの手を使うのが良く居る、とは聞いた事が有るが、
彼の場合も金をせびれると思ってやったのか、本当に必要だったのか、こちらも聞かないから
本当の事は分からない。

 

10年近くこのリゾートでの滞在を続けた頃、オーナーの交通事故で彼自身働けなくなり、
跡を継いだお姉さんがすっかりビジネス法を変えた時点で、アンヌだけが1年間残ったが、
ジャッキーや他のスタッフ全員が、その次の年、島に着いた時には既に居なくなっていた。

ジャッキーは島に残って別の海岸のリゾートで、マネージャーになっている、という事で
何度か顔を合わせている。

アンヌも今は結婚して島には居なく、子供も出来て幸せに暮らしているそうだ。

二人とも自分の新しい道を確実に進んでいる様だ。

 

交通事故で全て仕事はお姉さんに取り上げられた形に成っているが、オーナー自身は
何とか今では一人で歩ける様になっていて、バンコックから島にも時々来ている。

道ですれ違うと全く人相も変わってしまったが、ここ数年来、記憶も殆ど元通り戻っている様で、
両手を合わせてタイ式に敬意を示す挨拶をしてくれる。

長らく受付で働いていたオイさんとも一悶着有って彼女はオーナーに辞めさせられた、
と以前聞いていたが、今は島に来るとオイさん所に滞在している様だ。

目と鼻の先に居る実の姉よりオイさんの方が、彼に取っては信頼出来る人なのだろうか?

オーナーのお父さんは島で漁師だったが同時に大地主で、リゾート部分に広い土地を
使ってはいるが、未だまだ後ろの山迄全て彼の所有物だったらしい。

島全体の80パーセントが海洋国立公園なので、一番島で開拓されているホワイト・サンド・ビーチに
ある広大な敷地は、今では相当な価値がある事だろうが、果たしてどんな経緯が有ったのか
我々には分からない。

 

20年近く前の我々も、今よりはそれだけ若かった訳で、
不便な点も不便と思わずむしろ歓迎していた面も有る。

シャワーは水しかないけれど、そして時には赤い水だったりしたけれど、
それでも自分専用のシャワーという事で満足出来た。

トイレは当時から西洋式で水洗だったが、海岸や道路を散歩すると、
どこからともなく悪臭が漂う。ロベール曰く、チャン島の香水の香りが。

 

色んな面から見て、今迄行った島の中で一番当時の我々の希望にかなった島で、
以来毎年、寒いフランスの冬から逃げて島に来る渡り鳥暮らしを続ける事に成った。

此処では毎日が日曜日。矢張りこの世の楽園暮らしに違いない。

海は当時も今も、澄んだ水で変わりない。







Le 15 Fev. 2015 a Koh Chang
 

一森 育郎







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