IKUOのひとりごと 〜フランス便り〜


<2015.3.10 File No.27>


バンガローの隣人


バンガロー暮らしが始まって気がついたのは、3日間位滞在して居なくなるか、
11週間前後滞在する人が殆どと言うこと。1ヶ月近くの滞在は矢張り稀だ。

すぐ隣の同じ作りのバンガローに滞在している男性二人のドイツ人も、
どうやら長期滞在の様ですぐ出る気配がない。

一人は髪が長く後ろで束ねているが、何時もハンモックで本を読んでいる。
他の方は何となくブラブラ時間を過ごしている様で、共に余り海で泳ぐ様子もなく、
ノンビリとバカンスを過ごしている感じで、1ヶ月近く滞在後、一緒に出発した。



タイのホテル、バンガローは、一部屋いくらの貸し方なので、
一人滞在でも二人同室滞在でも料金は同じ。
一人旅は割高に成り、経済的なのは矢張り二人旅だ。

ただ、いくら新しく他より広いバンガローとは言え、所詮バンガロー、
大きなベッドで部屋を占領されてしまい、当時のバンガローは室内に小さなテーブルと
椅子1脚が精々のスペースしかないので、テラス部分を使わねば部屋で日中過ごすのはきつい。

物を書いたりする為の机は、日中の明かりを利用してテラスでするより仕方ない。
夜の電気では暗過ぎて本も読めないのでテラスをサロン代わりに、
しかも自然光で間に合う時間しか使い物に成らない。



バンガローの前の木に垂らしたハンモックを読書用に、物書きはテラスの机で、
そして就眠をバンガローで、が理想的な使い方で、
長期の人は大体このパターンで利用していたと思う。

初めてハンモックを買ったが、こんなに心地よい物はないと以来病み付きに成って今も勿論、
来る度に買って愛用している。



当時、島にはテレビは未だないようで、見た事がない。
何しろ暗い電気が夕方6時の日没から10時迄灯るのが精一杯だから。

リゾートには電話は有ったと思うが、公衆電話はない。
英字新聞バンコック・ポストは小さいスーパーで時々見かけたが、1日3部のみ入荷するらしく、
たまに買える事は有った。

世界の出来事が何も分からぬ、まるで浦島太郎のような生活だ。
バンコック・ポストは何と言ってもローカル新聞、大したニュースも出ていない。
新しくリゾートに着くお客さんから聞くニュースがヨーロッパ最新情報という有様。



翌年チャン島に来たおりは、多少顔馴染みも出来ていて、
スーパーの売り子さんに新聞を頼んだり出来たが、他の子が知らないで売ってしまったりする
事も有るので前金で払っておく事にして確実に買える様になった。



そんな折、前年のドイツ人が又やってきた。
未だ40代位の人なので、バカンスを冬に取って寒い国から逃げて来るのだな、と見当付けたが
実際には未だ話した事もない。

今回は一人で髪の長い読書好きそうな人だけが来ている様だ。



バンガローも前回と違い最新の物でなく少し狭い感じの従来のバンガローだ。
前日読んだ新聞を、頼まれもしないがゴミ箱に捨てるだけだから、と毎朝、朝食に出る時、
彼のテラスに置いて来る事にした。

二日目の朝、お礼兼ねて初めてこちらに挨拶に来て、以来何かと話す相手と成った。



雰囲気から言って、作家かな、教授かな、とかインテリっぽいので色々想像していたが、
普通のサラリーマンですよとの事。

去年の相棒は滞在を安く上げるため旅の途中で知り合って部屋をシェアーしたらしいが、
今回からは気楽に一人で滞在する事に成ったらしい。

当時島で知り合う人は圧倒的にドイツ人が多かった。
フランスではドイツ人の多い所はバカンスには安いから良い、と言われるが、
チャン島はそう言う意味でも良い所かも知れない。

メインランドより島では何もかも割高なのは仕方ないけど、当時は特に高いとは考えなかった。
全て未だ安かった。



本名クレモンというドイツ人、タイでは皆にミスター・キムと呼ばれている、
との事で我々もミスター・キムと呼ぶ事にした。

今回は一人で居るので暇らしく、テラスに居ると時々様子を見にやって来る。
矢張りタイを気に入ってあっちこっち回ったあげくチャン島に巡り会い、
今回2度目の1ヶ月の休暇を過ごす事にしたらしい。

英語は勿論の事、フランス語も多少出来るらしい。
らしい、というのは、共通語は矢張り英語で話していたので、
実際のフランス語を話すのは聞いた事がない。



旅の道中で知り合う人は多くとも、当たり障りのない挨拶程度の会話ですぐ別れる事に成るので、
気が合って親しくなる人とは先ず知り合う機会もないが、
毎日顔を合わせて何だかだと話す彼とは、又次回会う機会も有りそうだし、と、
フランスの名刺を差し上げて別れた。



その年の夏、メイエの田舎に居る時、自分で受け取った男性からの電話が知らない外国人からで、
"ムッシュ・ロベール願います。タイで知り合った彼の恋人です"と言うので驚いた。

amiだけなら友達の意味だが、それにpetit小さい、という単語を付けると
petit amiで恋人、という意味に成る。
彼はプティ・タミと言ったのだ。

訳が分からぬといぶかしがるロベールに電話器を渡したら、
何とミスター・キムから、ドイツからの電話だった。

この一件で彼のフランス語の程度も分かり、英語が又、共通語と成った。
ボルドーに行く用ができたが、今回は時間もなく遊びに寄れないけど、
そのうち機会あれば是非いつかそちらにお邪魔したい、てな内容のご機嫌伺いだった。



数年後、バンガローで1日の大半を過ごしていたミスター・キムが、
出かけて居ない事が多くなって以前と違う生活パターンに変わった気がした。

こちらも暇とは言え、他人の事を監視する訳ではないが、目と鼻の先のバンガローで、
テラス、ハンモックで居る時間が多いから嫌でも見えるのです!

何度か海水浴から夕方戻って来るのに出食わして、
あっちの海岸に行くんだ?とかこちらから聞いた記憶が有る。

その後出発迄の暫くの間も、自分のバンガローに戻って来る度、
何時も嬉しそうな笑顔で幸せそうな顔をしている。



翌年もそれぞれのバンガロー暮らしを続けていたが、ミスター・キムは以前の様に
バンガローで日中を過ごすのでなく、見つけた自分の海岸で日中を過ごし、
日暮れ前には戻って来る生活になっていた。

ある朝、朝食に行くおり何時ものように彼のバンガローの前を通りかかった時、
女性と一緒に出て来るのと鉢合わせに成って、少し照れながら、"マダム・リーです"、と紹介された。

以来滞在中は彼女も我々の隣人として過ごした。
海岸で友人がレストランバーを開いたので、バンコック郊外に住んでいたマダム・リーに
助けに来てくれと頼んで、そこで二人は知り合ったそうだ。

英語もちゃんと勉強したと分かる英語を話すし、チャーミングな女性で我々ともすぐ仲良くなった。



リゾートのオーナーの交通事故の後、バンガローの値段が意味もなく倍に成った。
サービスは以前と同じ様に、掃除も何日も頼まない限り来ないし、常連客は矢張り納得出来ない。

事故後の最初の滞在時、我々も3ヶ月の所、3週間滞在して他に移ったが、
ミスター・キムは1泊もしないで出て行った。

我々のビーチからかなり南にある発展途上中のビーチは、若い客を対象にしたバンガローが
多いので値段も手頃という事で、そっちに移動した。

以前程、顔を見る事は無くなったが、我々の居る町に来ると必ず逢いに来てくれた。



ドイツ経済も芳しくない、何時失業に成るか?の可能性もあって、
落ち着いた生活保障出来ない状態で、何とかタイで暮らせない物か?と考え始めた様だ。

既にマダム・リーもハノーヴァーで一緒に暮らして、韓国レストランで給仕係をしてオーナーからも
気に入られていた様だが、生活は断然ドイツよりタイの方が何しろ物価が安くやり易い。



島に来るのに既に30分おきのフェリーが運航されて久しく、観光客が増える一方でどのホテル、
リゾートもシーズン中は超満員になるご時世に成ったが、ドイツでは半分失業で、6ヶ月しか仕事の
契約が出来なくなってしまった。

ミスター・キムは、彼らの定宿と成ったチャン島のリゾートで、
海岸のレストラン横にあるバーをシーズン中借りて商売する事に成った。

レストランのお客さんの飲み物も、食べ物とは別勘定で、全てバーの売り上げに成るらしい。



マダム・リーの方は近くにショップを借りて洋服屋をすることに。
既に回りに店は一杯あるが、どこも同じ問屋から仕入れた同じ物を売っている。

彼女は人当たりも良いし英語もそして既にドイツ語も出来るし、ヨーロッパ人の
好みもその辺の店よりは分かるだろうし、と上手く行く要素も多いはず。



ショップの方は彼らがドイツで居ないシーズン・オフの間は、
バンコック郊外に住んでいるマダム・リーの妹さんが島に来て続ける事に話がついたらしい。

シーズン・オフでも今や島のホテル、レストラン、ショップは全て開いて営業続けて、
年中運行しているフェリーが観光客を乗せて来る状態に変化している。

最終的には2〜3年は店を続けた様だがお姉さん同様、妹もチャン島でドイツ人と知り合い、
結婚してドイツに住む事に成って、今は子供も産まれて幸せに寒いヨーロッパに住んでいるらしい。



その間にミスター・キムも完全に失業してしまい、6ヶ月をタイで、残り半年を
ドイツで過ごす生活がスタートした。

母一人子一人の家庭故、アルツハイマーが少し始まったお母さんの事が要で、
完全にタイ暮らしに切り替え出来ないそうだ。



寒いドイツの冬を逃げてタイにバカンスに来るのがきっかけで、
海水浴の出来るチャン島に来る事になって20年のミスター・キム。

今では年金もドイツから受ける年になり、タイ人の奥さんとドイツとタイで暮らす生活が板に
付いたが、ドイツよりタイの方がドイツから受ける年金暮らしをするには当然物価安で良い暮らしが
出来るからと、お母さんを見送った後は完全にタイで住む事を考えている様だ。

それ迄は半年をチャン島でバーを営業しながら滞在して、
残り半年をドイツでと半々の生活を続けるそうだ。



バーに来る色んな国の色んな観光客相手の1週間休みなしの自分の為の仕事が、
人好きの彼には楽しくて仕方ないそうだ。

観光客も言葉が通じて、色々情報も手に入り冗談も通じるので楽しく、
滞在中はすっかりお馴染みさんに成る様だ。

島の海岸のバーでの仕事が、まるで楽しみながら毎日バカンスしている様で、
ドイツで働いていたのとは大違いだ、と以前より若々しく溌剌としたミスター・キムと再会出来るのも
チャン島に毎年来る楽しみの一つだ。









2015年2月24日 チャン島にて
 

一森 育郎







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