何時も新聞を買いに行く小さいスーパーでハンモックを見つけた。
当時どこのリゾートも自然に在った雑木林のような土地に、適当に木を伐って
バンガローを建てていたので、自然の中の庭という感じで全てのリゾートで
木に吊るしたハンモックが有った。
これで自分専用にハンモックをバンガローの真ん前に、何時でも使いたい時に
空いているのを待つ事なく使える様になった。
読書するには最高の場所だ。
今は各々リゾートの仕切りに壁を作って区切られてしまい、自由に誰でも歩けなくなってしまったが、
元々海岸は皆の共有の物、海岸とリゾートの 境目はどこなのか分からない状態で、
宿泊地より更に南の2軒のリゾートでの滞在者は、海岸に行くのに、わざわざ道路側を歩かなくとも
一部我々のリゾート内を歩 いて、海岸に出るのがその頃は極当たり前に通用する
大らかな時代だった。
同じリゾートの滞在でなくとも、問題なくリゾート内を歩いて自分の海岸に行けた。
人間の習性で、大体同じ時間に同じ海岸に行く人が多い様だ。
それぞれの日課という物が何となく出来て来る。
本を読んでいる横を何度か通れば,お互い"ハーイ"とか声かける様にもなるし
道で会えば会釈する様にもなる。
話した事はないが、道で逢ったおり両手を合わせてタイ風に敬意ある挨拶をしたら、
同じ様に返って来た。
旅行者同士、半分ふざけ合って良く有る事だが。。。
一緒に歩いている人とドイツ語を話していた。
朝、海岸に行くときは"お早う"とハンモックから声かけて、日中は逢う事ないが
その次道で逢うと、彼は誰かとフランス語を話しているので、スリムで背が高く
見た感じはフランス人ではないしベルギー人かな?と我々は思っていた。
他の人のタイプとはどこか違う。
海岸に行くのに皆と同じ様に軽い服装だが、その他大勢とは雰囲気が違う人だった。
姿勢、振る舞い、内面からの一種の気品という物が感じられる。
いくら着飾っても何かの弾みでお里の出る人が結構居るが、彼の場合は旅の間で知り合うには
珍しい事だが本当の品格を感じる人だ。
ある日の夕方、丁度海岸から戻って来るのにバンガローの前で出くわして
"ベルギーからお越しですか?"とフランス語で訪ねたら、フランスから来た、との答え。
出身はベルリンだけど、戦後しばらくしてフランスに住み着いた、との返事。
道理でドイツ語とフランス語を話すと納得。
南側2軒先のスイス人経営のリゾートに、未だロウソクしかない時代から来ているらしい。
恐らくチャン島での常連さんの中では一番古いお客さんだろう。
彼の2ヶ月のチャン島での滞在中、彼のバンガローでは朝食サービスがないので、
眺めの良い我々のリゾート内の海岸側のレストランにライス・スープを食べに時々来ていたが、
同じ時間帯に来れば同席するようになった。
成人してすぐフランスに住み着いて既に定年退職している彼は、名前こそクラウスとドイツ的だが、
ある意味大変フランス的、しかも既に稀にしか 見かけなくなった
昔の良きフランスを連想させる紳士だ。
フランス語で言う Vieille France, 古きフランス。
有名ブランドのきちっとしたスーツを着ている訳でもなし、パンツにサンダルという回りの旅行者と
同じような格好なのに、どこがどう違うのだろうと観察したくなる程だ。
何度も静なリゾートのレストランで夕飯を一緒にしたが、話題も豊富で何にでも通じていて、
教養も有る、一緒に時間を過ごすのに退屈しない人だ。
普通は誰かと話す機会があっても、精々旅の話、どこに行ったか、何処から来たか、
何時迄居るか、どこが良い、どこが悪い程度の事しか共通の話 題もなく退屈この上なく、
話す前から相手の質問が読める。
クラウスとは宿泊地が近い事も有り、滞在中は一緒に過ごす時間が増えた。
冗談も言いあえる仲になった。
島にフェリーが来る様になって便利になったと思えば、その後しばらくして今度は
バンコックから船着き場のある町、トラット迄飛行機の運行も始まって、
益々チャン島に来易くなった。
但し、島は山ばかりで、その上国立公園になっている為、幸いな事に島に空港は造れないので、
プーケットの様に開発されすぎる事はないだろう、と程々の開発は、こちらも年を取って来る分
便利になるのは歓迎している。
観光客の数もその分増えて、海岸は以前の様ではなくなったと、
まるでイワシを海岸に並べて干している様だとクラウスは嘆く。
昔は、海岸はひっそりして誰もいなかったのに、と。
イタリアからパリに遊びに来た友人、陽気なイタリア女、ミレーナが
地中海クルージングの旅をしたおり、港に着く度、望遠鏡で停泊中のヨットのキャプテンを捜した、
と話して皆を笑わせていたのを思い出して、 "クラウス、世の中変わったんだから、その中で
喜びを見つける様にしなけりゃならない。望遠鏡持って行って、遠くから素敵な人を見つけて、
その横にタオル置いて日光浴すれば良い。途中居眠りした振りをして、ぐるっと右に回って
お触りして、失礼!と謝って、又しばらくして反対側にぐるっと 回って。。。"
"お前、少し頭おかしいんじゃないか?"とその時言われたけど、海岸で彼を見かけたりすると、
遠くから手で望遠鏡まねて合図する事にしていた。
海で会う彼の知人達にもこの話をしたらしく、知らない人からこちらに向かって
手で望遠鏡まねて遠くから合図する人も現れた。
クラウスはモード・カメラマンでニナ・リッチのコレクションを撮っていたらしい。
既に定年退職していて、写真は全く撮らなくなった、と一度もカメラを下げているのを見た事がない。
モードは、もううんざり、写真もうんざり、全く興味なくなった、とも。
立場上は彼もフリーランスだった訳で、退職後の今も優雅にしているが、
未だ40台だった自分には先の話だが、興味あるのでどうやって今、
生計立てているのか聞いた事が有る。
"ベルリンのお母さんの遺産相続で、母には感謝している"との返事。
自分には何の役にも立たなくガッカリしたけど。
パリの中心、マルシェ・サントノーレにアパートが有ったらしいが、知り合った時は既に売り払って、
ノルマンディーの田舎に住み着いていた。
広い庭付きの家で一人暮らししている。
多くの長期滞在者同様、寒い冬のヨーロッパから逃げて、
タイで2ヶ月過ごすのが長年の習慣になっていた。
ある年、島からチェンマイに行った時、そこで商売しているフランス人の
家具職人と知り合った、と言って再び島に戻って来た。
小さな引き出しをオーダー・メイドで注文して来たそうだ。
その職人さんの知人に矢張りフランス人で、バンコックで革のアクセサリーを作っている人が居て、
彼は最近又、脚光浴びて来たガリュ?シャも扱っているそうで
オーダーした小さな引き出し家具の上から、ガリューシャを貼ってもらうよう手配を整えて
島に戻って来たとのこと。
フランスに帰国する折には出来上がっていてバンコックで納品されるそうだ。
ガリューシャは言わずと知れたエイの革で、表面をヤスって固いぶつぶつの粒を取り除き、
滑らかな薄い皮になめした物だが、開発者はフランス人、ガリューシャという人でその名前を取って
フランスではガリューシャと呼んで いるが誰でも知っている物ではなく、知る人ぞ知る、
幻のガリューシャと言われる程アールデコの時代物は中々手に入らず、愛好者の間では
大変貴重な物だ。
余談となるが後にクラウスからこのガリューシャ職人を紹介されて
IKUOでもガリューシャのアクセサリーを製作してもらった。
コレクターの彼は、くだらないどこでも見かける工芸品には興味はないが良い物には目がなく、
タイからも仏像等を過去には随分運んだ様だ。
フランスでブロンズの彫刻で動物を集めたコレクションを持っていると一度聞いたが、
子供も居ないのに死んだ後どうするか?と聞けば、全て美術館に寄付するつもりだそうだ。
それでもコレクター気質というのは、気に入った物と出会うと欲しくなるらしい。
物に関して物欲、独占欲がない自分には、理解しがたい事だ。
反面、彼のような人が居ないとアーティストは困るけど。
センスというのは、ある程度迄は磨く事が出来ても矢張り本来は持って生まれた物だろう。
クラウスは毎年同じバンガローで20年以上滞在したと思うが、着いてすぐ
毎回蘭の鉢植えを沢山買って来て、テラスに目一杯飾ってある。
海岸に行かないときは蘭の花の横の、木陰の椅子で読書して日中を過ごすらしい。
自分の日々過ごす場所を、自分流にアットホームな気分で過ごせるよう飾るらしい。
何気ない所にも一つ自分流のアクセントを付けるという態度には、矢張り見習う物が有る。
ファッション界にドッポリ浸かっていてもう興味ない、とは言うが
何気なくその辺で売っている安いパンツやシャツを着ても、持って生まれたセンスで矢張り他の
ツーリスト達とは一味違う。
取っ替え引き換え、その辺の安い店で買った服を着ているが、
自分流に着こなしてどれもサマになっている。
滞在終えて帰国する時はクリーニングに出してリゾートで働くスタッフに全て上げるそうだ。
フランスでの住まいは近くにモネ美術館のあるヴェルノンという町らしいが、
此処数年やたらモネの家が観光客に人気が出て、バスや車の往来量が増えた、と不満らしい。
ほど遠くない簡素な所に土地を見つけて、新築で家を建て、住んでいる家を売って越す事になった、
と話すのが彼とチャン島で逢う最後の年になった。
庭にはバラ園を造ると話していた様に、今頃はすっかりバラの根も張って
立派なバラ園になっている事だろう。
数年前、何時になっても来ている気配がないから、とドイツ人の知人が
彼のリゾートに問い合わせに行ったら、オーナー曰く、予約は入っていたが
間際に心臓発作になって、急遽キャンセルした、との返事。
その翌年は来るかと期待していたが、矢張り来る事なく、今年で3年間来ていない。
恐らくもう来る事はないだろう。
若く元気なイメージしか思い浮かばないが、既に今では80歳も幾つか越しているだろうし。。。
東京の店での新作会で日本に行く為バンコック迄の飛行機がクラウスの
丁度帰国時で一緒になった事が一度あった。
トラット空港の待合室で落ち合ったが、島以外で彼と会うのは初めての事だ。
かぶっている帽子は本物のパナマ、パンタロン、シャツはリンネル。
履いている靴は既に履き慣れたオーストリッチ。
どれもコレも新品でなくすっかり身に馴染んだ物ばかり。
本物の良い物を何時迄も使う、まさに古きフランスそのままのお手本だ。
バンコックに着いたら彼の定宿のオリエンタルホテルの運転手がお迎えに。
タイで一番の老舗ホテルだが、マネージャーと知人で安くしてくれる、とは以前話していたが。。。
荷物を見て又ビックリ。
未だ今の様にコマ付きのトランクのない時代とは言え、まるで植民地時代の旅行者のごとく、
その昔、蚤の市で買った事のある厚革の茶色い長方形型のトランクを、大、中、小の3ヶ持って
旅している。
颯爽と運転手が運び出して、空港でクラウスと別れた。
クラウスとは随分親しくなったが、付き合いはチャン島だけでフランスでの彼を全く知らない。
既に高齢になっているはずだが、静な新居で今も元気に過ごしているよう願うばかりだ。
チャン島は益々開発が進み、まるでファミリーレストランのごとく賑やかな島と変容したが、
クラウスのように一昔前を思い出すようなユニーク人とは逢う機会もなくなってしまった。
個性の強い人達は何らかの理由は兎も角、大衆的になってしまった島から
確実に遠のいて行く様でその点は残念に思う。
A Chiang Mai le 2 Mars 2015
一森 育郎
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