IKUOのひとりごと 〜フランス便り〜


<2015.3.26 File No.35>


海岸風景


レストランと言えば何となくシャレた感じに聞こえるが、当時の島には
レストランと呼べるようなシャレた食事処なんて未だ一軒もなかった。
どこも皆、食堂、又は飯屋という感じだ。



何処の店でも自分に出されるメニューは毎回タイ語のメニュー。
きょとんとして居ると、初めて相手が"ああ、タイ人ではない"と分かる様だ。
何処でもタイ人と思われていた。
まだチャン島ではアジア人の観光客は全く見当たらず、西洋人ばかりだったので。



その内、近辺の皆に外人だ、と知れ渡りタイ人扱いはされなくなったが
もっとひどい事に、今度は"パパ"と皆から呼ばれる様になった。

ミスターやミセスというのが分からず、外人に対しては皆、パパ、ママ、と呼ぶ。
未だ40代なのに!!



海岸を歩けば何処からともなく"パパ、マッサージ"と声がかかる。
初め、未だ慣れない頃は何と失礼な、と思いムッとした顔をしていた。
パパと声かけているのが、そんなに若くもないのに、良く言えるな、と憤慨した。

その内慣れて来て気にしなくはなった。



マッサージはタイに来る観光客なら一度は経験すると思うが、海岸ではその当時、
2〜3人で組になり、声をかけてはお客さんを捜し、見つかれば海岸の木陰に
用意している布を敷いてマッサージ場と早変わり。

終わったら又同様に、"パパ、マッサージ"と声張り上げてお客さんを捜し歩く。
1日中、日の照りしきる海岸を歩くので、皆真っ黒に日に焼けている。



タイ・マッサージで有名なのはポー式マッサージで、バンコックに有るポー寺院で
学校も開いていて、海外から勉強に来る人も結構居る様だ。

マッサージするのに手だけでなく足も使って身体全体を引っ張ったりして、
見ていると結構荒っぽいが思いっきり身体を伸ばしきって気持ちよい。



海岸でするマッサージは完全にポー式ではないが、
色々取り入れて一般的に改良された物であろう。

其れなりに皆どこかで学ぶ様で、
上手い下手は有るとしてもやってくれるコースはどこでも同じだ。



数年後には海岸でのマッサージは禁止され、移動しながら客探しは出来なくなった。
マッサージ場として特定の定められた場所でのみ、契約している人だけが、
そこで働く事が出来る。
いくつか有る海岸のマッサージ場にお客さんが出向いてやってもらう様に変わった。



道路に面して色々店が並ぶようになれば当然マッサージ・ルームも
今はあっちこっちに一杯できている。

厚化粧した、やり手ママがデンと入り口に座って客と値段の交渉している所も何カ所かある。
若い娘さんが、奇麗に化粧して黄色い声で"マッサージ"と声張り上げている所も幾つもある。



同じホテルに滞在していた30歳位の若いカップルが道路側のマッサージに二人で
2軒の店に立ち寄ったときの事。

カップルで行っているに関わらず、"Do you want to wake up ?目を覚ませたいですか?"と
彼に向かって聞いたらしい。2軒とも。



彼女は"私が横に居るのに、考えられない!"と大いに憤慨していた。
未だお客さんが若過ぎた。
定年退職組の年配の客なら笑って過ごせるだろうけど。

"それが嫌なら、少し割高でもホテルか、または海岸が安心ですよ"と教えてやった。

誤解のないよう註釈するが、勿論全てがこんな調子ではなく
真面目で良い店は幾つも、一杯ある。



海岸のマッサージはオープンな場所でやる分、カップルでなくとも一切問題ない。
何処も、繁盛していて毎日前を通って顔馴染みの彼女達は、
前を通ると仕事しながら手を振って合図してくれる。



バンガロー時代は、海岸の一番始まりにあるリゾート故、物売りに来る人達の出発点となり、
スイカやパイナップルを奇麗に食べられる状態に切って包装した果物売りや、
ドーナツ売りも昼前には毎日来ていた。

午後4時頃は仕事終えて、空っぽになったバスケットを下げて
我々のリゾートから道路側に出て自分たちの家路につく。



時々、ドーナツが売れ残っていたりすると、それも買ったりしたが正直、
毎日毎日ドーナツを食べてられないので、冷蔵庫に入れたドーナツを出してみせて、
今日は無理、ゴメン!とか言って納得してもらったりする事も有った。

反対に、帰り際、売れ残っているのをプレゼントしてくれたりする事も有ってすっかり仲良くなって
いたが、その内、海岸での物売りも禁止されてしまって全く顔を見なくなってしまった。



物売りと言えば、お土産類やファブリック、アクササリー類等売りに来るのは
今でも許されているのかまだ見かける。

マッサージしていた背の高い男性が、いつの間にかマッサージを止めて
物売りに変わっているのが居る。

時々、自分のパラダイス・ビーチに自分たちの夕食とするのだろうか、貝を採りに来るので
顔を合わす事が多い。
随分長く彼も海岸で働いているのですっかり顔馴染みの一人だ。
何時逢っても真っ黒に日焼けしている。
海岸で真っ黒になって商売しているのは殆ど全員、カンボジア人だ。



今は完全になくなったが、マッサージする人と一緒に動くグループに、マニキュアする人や、
ペインティング入れ墨する人も居た。

本物の刺青は海岸では出来ぬが、2〜3ヶ月は持つと言うので、
年配者でも面白半分にペインティングして楽しんでいたりするのが結構居た。



本物の刺青は道路に面した冷房付きの店で、相当な数の専門店が出来ている。

タイに来る目的の一つが刺青する事、という観光客も随分居るようで馴染み客で毎年来ては
刺青を増やして行く人も多いと近くの店で顔見知りの刺青師、モヒカン刈りの兄ちゃんが言っていた。



午後、自分の海岸に行く頃は、丁度暑い真っ盛り。
日に焼きたい西洋人が一杯日光浴している最中だが、良く焼けている人に混ざって
着いたばかりの真っ白の人も居て、新入荷、と直ぐ分かる。

可哀想な位、真っ赤になっている人も居て大丈夫?と心配になる事も有るが、
太陽に弱いと自分で分かっている人は夕方の日没頃から少しずつ太陽になれるよう用心するが、
滞在が短く急いで焼きたい人は特に要注意しないと危ない。
熱射病で時には熱を出す病人も出る。



徐々に週末になるとタイ人が他の町からチャン島に旅行で来る様になり始めた。

直ぐタイ人と分かるのは、Tシャツを来たままで海に入る。
殆ど100パーセント間違いなくビキニ姿の、肌を目一杯露出する西洋人とはえらい違いだ。

彼らは日焼けをしたくない、白いのがステータスで金持ちの印、黒いのは
貧しい労働者と見られるから、日光浴する西洋人の気が知れない。

海に彼らが出て来るのは日没前の6時前後で、 泳ぐという事はなく水遊びだ。
キャーキャーと水中で騒いだりはしゃいだり、ボール遊びしたり、と水中で遊ぶ。



自分の海岸からホテルに戻る頃は一日で一番幸せ感じる心地よいときだ。

太陽が海の上に沈む頃、夕日に焼ける空の色が毎日微妙に違い、時には幻想的な色に、
オレンジ、赤から紫へと変わって行く。

暑さも去って肌にさすそよ風が何とも気持ちよい。
歩く足も自然に速度落としてゆっくり心地よさを噛み締めながら家路に着く。



岩場海岸を出る頃は、夕日目指してカメラ持参で入り口辺りの岩場に来る人も居る。

海に向かってシャッターきるが、見ていて面白いのは40歳前後から50歳位の
見るからに夫婦でないカップル。
恋愛中、又は進行中のカップルがより面白い。



写真がデジタルになってからは誰もがやたら写真撮るので、
写真慣れして恥ずかしがらずポーズする様になった。

写真はプロのモデルでない限り誤摩化せないので、幸せなときは幸せな顔をして写るし、
悲しい時、心配事、気に掛かる事が有るときはそのように写ってしまう。



恋愛中の彼女は、西洋人ならセクシーポーズで人が居ても気にせずプレイボーイの表紙か
グラビアを飾れるようなポーズを、勿論ビキニでカメラマンを悩殺する。

恋して幸せ一杯で、恐らくそれらの写真は彼女の生涯で最高の物になるだろう。



アジア人の写真撮る様子を見ると、精々手で太陽を囲むとか、ハート形に仕立てた手に太陽を包むとか、ありふれた決まったポーズしか取らない。
セクシーポーズをとるのは見た事がない。



誰もが子供っぽく可愛いポーズをするアジア人と、西洋人のこの違いが面白い。

西洋女は40歳でも50歳でも、女である武器を使って何時迄も男性を積極的に
誘惑する行為を惜しまず、人前であっても好きな男性を悩殺する為のポーズを
恥ずかしがらず、絶えずこちらに興味を持ち続けてくれるよう努力する。

考えようによっては、若さから遠のいて行くのを自覚しつつも、いじらしく可愛い。
ホテルに戻る道中、毎回楽しめる光景だ。



海岸にバレーボールのネットの張ってあるリゾートでは、毎日没頃にプレイされる。

長期滞在の人や毎年来る人達、何人かは顔見知りも居るが、不足分はその都度
近辺に滞在するツーリストが参加して試合をするが、結構上手いのが居て
つい足を止めて見とれる事も有る。



その先の海岸はサッカー場に変身。
何しろ夕方の干潮時は砂浜が遠浅海岸なので殆ど真っ平らに50メーター以上にも拡大されて
サッカーするには理想的だ。

大半は海岸のレストランで働く従業員がテーブルセッティングを終えて、
お客さんが来るには未だ早いので待ち時間を楽しんでいるが、当然サッカー好きな観光客も
参加して合同で試合している。



ある一角ではペタンクをしているのも居る。

タイではペタンクが盛んという程ではないだろうが、旅行中に一度ペタンクの本場、
フランスからの選手を呼んでの大会を見た事が有る。

ペタンクをしているのは重たいボールを現地で誰かに預かっておいてもらうのか、
毎年見かける常連さんだが時々フランス人も見かける。



未だ太陽が完全に沈む前で充分明るい頃、メタル探知機で海岸をゆっくり歩いて
貴金属の落とし物を捜している三人組を毎日見かける。

実際何か見つけた所には出会った事はないが、毎日やっているという事は
それなりに収穫も有るのだろう。



夕方のそよ風を利用して時々凧を揚げている光景に出会う事も有るが、
これも好きな懐かしい光景で、ついついその都度立ち止まって暫く眺めてしまう。

プラスチックの円盤投げやバトミントン、紙で作った飛行機を飛ばせたり、
童心に返って大人達が海岸で遊んでいるのは見ていて微笑ましい。



太陽が沈み始める頃は、必ずヨガをしたり瞑想している人達が居る。
自分で出来ないのが何時も残念に思う。

夕日を受けながら、回りの出来事をシャットアウトして、海岸の人ごみも気にせず
自分の世界に浸透しているのはさぞ気持ちよい事だろうと想像する。



観光客もシャワー浴びて水着から着替えてちょっとお洒落して出て来る
涼しくなった夕方の海岸が一番活気有る。

海岸でゴザを敷いてクッション置いてカフェ・バーに早変わりしている所では
日没する真っ赤な夕日を目の前にアペリチフを楽しめる。



そのまま海岸のレストランで夕飯も出来るし、夜は夜で海岸のレストランでは
ファイアーショーを実演する所も数カ所有って観光客は楽しめる。
何もない島だから、一度は皆覗いてみる様だ。



人工的に造られた物は何もない海岸で、これだけ多くの人を幸せに出来る自然の創造物に
改めて感謝したい。

造られた物はその内、飽きて来たり時代遅れになったりするが、自然の創造物は
何時の世も変わらず誰からも愛される。

チャン島の海が何時迄も奇麗に、人工的に汚されず、澄んだ物であるよう願って止まない。









A Chiang Mai le 18 Mars 2015
 

一森 育郎







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